終わらぬ戦後




イラク戦争から3年。日本の自衛隊も撤収に向けて本格的に動き出しました。戦後処理が着々と進むイラクですが戦後体制が解かれた訳ではありません。

ここでは戦争直後の2003年4月から2004年にかけて戦後イラクを取材したASIANEWS記者の記事を再掲しています。

2003年9月


メディアを検閲する米軍(2003年9月3日配信)1分33秒/56kbps
言論の自由が出来たと喜ぶジャーナリスト達。しかしそこに完全なる自由は無かった。米兵は情報、言論をコントロールしている。

人々は悲しみから立ち上がったのか?(2003年9月3日配信)2分05秒/56kbps
肉親を失った人、家を失った人。イラクの人々は悲しみから立ち上がりつつあるのだろうか?

自衛隊派遣・イラクの人は?(2003年9月3日配信)2分10秒/56kbps
イラクの人々は日本の自衛隊が派遣されることを知っている。ではどう感じているのか?自衛隊は何を求められているのか?

市民生活の現状(2003年9月3日配信)3分34秒/56kbps
ライフラインは?食糧は?医療は?マーケットには物が溢れる一方、肝心なものが無い。なぜ必要な物が無いのか?

反米感情は?そして兵士は?(2003年9月3日配信)2分32秒/56kbps
反米感情が日毎に高まるのは周知の事実。 アメリカは自由をもたらしたはず。しかしその自由が無いゆえに彼らは外国部隊を憎む。前線で彼らと接する兵士も悩む。

イラク・治安の現状(2003年9月3日配信)1分58秒/56kbps
イラクの治安は終戦直後よりも悪化している。毎日の様に流れる米英軍兵士攻撃のニュース。なぜ彼らは兵士を攻撃するのか?

職業安定所に殺到する市民(2003年9月29日配信)記事へ
イラクでは連日アメリカ兵殺害事件が続発している。イラク調停、民主化、自由のためにやってきたアメリカ軍が実はイラク人の殺意の的となっている。 生活のままなら無いイラク市民の怒りの衝撃の矛先がアメリカ兵に向けられている。イラク戦争の矛盾が戦後時がたてばたつほど如実に現れてきている。第2次イラク戦争が現実になる日は近いかもしれない。


2003年10月


自衛隊派遣は危険な“賭け”(2003年10月18日配信)記事へ
「イラクにとってはよくないこと、日本にとっても危険な賭けだ!」日本の自衛隊が入ることを市民は知らない。 渡部が日本からは自衛隊が派遣されると市民に告げると、人々から帰ってきたのが上の答えだ。ヨルダンやトルコはイラクに軍隊を派遣した。それによってテロを呼んだ。 派遣によってテロの対象になることは間違いないだろう。これが市民の予測である。

自衛隊にとって危険な賭け(2003年10月18日配信)10月18日/56kbps
復興作業が進む中、市民生活はどうなっているのか。4度のイラクに入った渡部リポート。イラクの人々は自衛隊派遣に対し警告する。

衛星回線の状況が悪いため一部聞き取り難い部分があります。
米軍統治の行方(2003年10月31日配信)1分38秒/48kbps 
今後も攻撃が続くと予想される米軍駐留部隊。彼らは警察ではなくあくまでも兵士たちであり、市民に発砲しても報告する義務はない。

自衛隊派遣先最新情勢(2003年10月31日配信)1分45秒/48kbps
自衛隊の派遣予定地ナシリア・サマワ。その治安状況はどうなっているのか?

市民は自衛隊を歓迎する(2003年10月31日配信)4分06秒/48kbps
我々の取材ではイラク市民の中には自衛隊派遣を警告する声が多かった。 しかしアジアニュースのインタビューに答えたナシリアの住民のおよそ7割の人が歓迎している。

ブラックマーケット(2003年10月31日配信)3分48秒/48kbps
ナシリアにあるブラックマーケット。そこには住民が自らの身を守るために銃を買い求める姿がある。1挺250ドルだという。
日本メディア初!米軍キャンプ(2003年10月31日配信)3分39秒/48kbps
そこはまるでカルフォルニア」。ナシリア駐留の米軍基地に日本のメディアとしてはじめて取材を許可された。

日本メディア初!ナシリア駐留の韓国軍(2003年10月31日配信)4分43秒/48kbps
自衛隊の派遣予定地ナシリアでは既に韓国軍が活動を行っている。主に医療支援をおこうこの部隊に渡部が密着取材。

国際赤十字爆破(2003年10月31日配信)1分54秒/48kbps
バグダッドで10月27日、赤十字国際委員会(ICRC)の事務所と警察署4カ所の計5カ所を狙った爆弾テロが発生、計34人が死亡、224人が負傷。 バグダッドでのテロとしては最悪のケースとなった。イラクでの国際機関を狙った大規模テロは、8月19日にバグダッドの国連事務所を狙った爆弾テロ以来。

バグダッド治安状況(2003年10月31日配信)2分07秒/48kbps
続発する米軍への攻撃。状況はさらに悪化。市民のイラク警察への反発が背景にあるようだ

2003年11月



自衛隊派遣地サマワ・ナシリア(2003年11月1日配信)記事へ
政府の自衛隊派遣の閣議決定が先送りされる中、本命と目されるイラク南部の派遣予定地サマワ、ナシリア。現在韓国はじめ各国の部隊が駐留している。 特に韓国軍は医療支援に力を注いでいるが、その支援の現状とは?日本のメディアとして初めて渡部陽一が密着取材。 また米軍基地内の兵士達がどのような生活を送っているのか、これも日本のメディアとしては初めて取材を許可された。

2003年12月


フセイン大統領拘束第1報(2003年12月14日配信)40秒/32kbps
12月14日。バグッダドで取材中の渡部にフセイン氏拘束のビッグニュースが飛び込む。その第一報。

フセイン拘束後治安悪化(2003年12月14日配信)2分25秒/32kbps

12月14日。フセイン元大統領拘束後市内の治安が一時的に悪化。取材中の渡部も強盗に襲われる。

渡部陽一のイラク日誌 12月8日〜23日分(2003年12月25日配信)日誌を読む
フセイン元大統領逮捕時の様子を含む渡部陽一の取材日誌



2004年

2004年1月



渡部陽一のイラク日誌 1月13日〜2月8日分(2003年12月14日配信)日誌を読む
フセイン元大統領逮捕時の様子を含む渡部陽一の取材日誌

久保田弘信のイラク日記「1月20日」(2004年1月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記
久保田弘信のイラク日記「1月22日」(2004年1月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記
久保田弘信のイラク日記「1月23日」(2004年1月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記
久保田弘信のイラク日記「1月24日」(2004年1月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記
久保田弘信のイラク日記「1月25日」(2004年1月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記
久保田弘信のイラク日記「1月26日」(2004年1月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記
久保田弘信のイラク日記「1月27日」(2004年1月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記
久保田弘信のイラク日記「1月28日」(2004年1月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記
久保田弘信のイラク日記「1月29日」(2004年1月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記
久保田弘信のイラク日記「1月30日」(2004年1月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記
久保田弘信のイラク日記「1月31日」(2004年1月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記

2004年2月


渡部陽一のイラク日誌 2月9日〜17日分(2004年2月配信)日誌を読む
渡部陽一の取材日誌

渡部陽一のイラク日誌 2月18日〜28日分(2004年2月配信)日誌を読む
渡部陽一の取材日誌

2004年3月


久保田弘信のイラク日記「3月16日」(2004年3月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記
久保田弘信のイラク日記「3月17日」(2004年3月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記
久保田弘信のイラク日記「3月18日」(2004年3月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記
久保田弘信のイラク日記「3月19日」(2004年3月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記
久保田弘信のイラク日記「3月20日」(2004年3月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記
久保田弘信のイラク日記「3月21日」(2004年3月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記
久保田弘信のイラク日記「3月22日」(2004年3月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記
久保田弘信のイラク日記「3月23日」(2004年3月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記
久保田弘信のイラク日記「3月24日」(2004年3月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記
久保田弘信のイラク日記「3月25日」(2004年3月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記
久保田弘信のイラク日記「3月26日」(2004年3月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記
久保田弘信のイラク日記「3月27日」(2004年3月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記
久保田弘信のイラク日記「3月28日」(2004年3月配信)日記を読む
久保田弘信の取材日記

伝えられないニュース(2004年3月19日配信)記事へ
3月19日。それは私たちがインタビューをしている際に起こった。3月20日の開戦1年を控えてバグダッド市内では毎夜爆破事件が発生。 私たちもそんな現場の一つで取材をしていた。昨夜の攻撃で怪我をしたという少年にインタビューしているその時。パーンと乾いた銃声。パンクかな、と思うが様子が違う。

2004年4月


日本人拉致事件・バクダッドは今(2004年4月10日配信)記事へ
イラク戦争1周年を迎えイラク国内は混乱状況だ。 特にイスラム教シーア派の動きが目立ち、強硬姿勢を打ち出しているシーア派指導者ムクタダサデル師の持つアルマハディー軍が各都市で駐留軍と衝突を繰り返している。

バグダッド陥落から1年(2004年4月10日配信)記事へ
イラク、バグダッド陥落一周年を迎えた。バグダッド市内はゴーストタウン状態である。 本来、道は人で溢れ、マーケットは物資と活気で満ち溢れている。そうしたかつてのバグダッドの姿はどこにも見られない。

日本人開放か(2004年4月12日配信)記事へ
日本人解放の声明が出されたことで混沌とするイラクに久しぶりの朗報が駆け巡った。4月10日、バグダッド時間午後10時、日本人を24時間以内に開放するニュースがカタールの衛星テレビから速報が流れた。

情報錯そう・混乱する現地報道(2004年4月13日配信)記事へ
日本人拘束に関する情報が錯綜中だ。バグダッドにおいて世界中のジャーナリストが集っているも誰しもがカタール発の衛星ニュースチャンネルアルジャジーラの情報に振り回されている。

「明日は大きな爆破事件が起こる」(2004年4月14日配信)記事へ
バグダッド中心部にあるパレスティナホテル、外国人ジャーナリストが多数宿泊しているホテルとしてイラク市民の間では有名なホテルである。 4月13日、現地時間午前8時、このホテル脇に迫撃砲が打ち込まれた。

イラクで邦人2名行方不明か?(2004年4月15日配信)記事へ

日本人男性二人がバグダッド西方20km地点にあるアブグレイブにおいて拘束された可能性が強いという情報がバグダッドに滞在するジャーナリストの間で飛び交っている。 実際に拘束された疑いの強い二人の宿泊先に足を運んでみたが、部屋の中は脱ぎ捨てられた衣類やあけっぱなしのカバン、パソコンと生活臭が溢れていた。

記者誘拐未遂。治安悪化を体験(2004年4月15日配信)記事へ
今日は渡部自身が誘拐されかける、という事件が発生している。 CPA近くの商店街、午後3時。イタリア料理店などの高級レストランが並び、バグダッドでも高級階級の人々が集うエリア。 ここで日本のテレビ局の依頼でイラク市民の声を拾おうとカメラで撮影し始めた時、4人のイラク人が渡部にちょっかいを出してきた。 イラクで取材中によくある光景である。しかし様子がおかしい。やがて若者たちが渡部の体を引っ張り自分たちの車へ引っ張っていこうとする。まずい!

日本人の人質3名無事保護される(2004年4月16日配信)記事へ
ニュースが入ったとき、私はすぐには信じられなかった。拘束のニュースを見たときの映像は非常に衝撃的であり、正直に言うともう駄目かと思っていた。 情報が錯綜し、全く動きが見えない中、長期戦も覚悟していた矢先の解放。
第3の拉致事件は起こる(2004年4月17日配信)記事へ
日本人3人が本日、イラクを出国した。武装勢力による一週間の拘束を耐え無事に解放、イラクの隣国のひとつであるアラブ首長国連邦に向かった。 3人の解放の喜びのニュースに酔いしれるも、未だ拘束されている日本人男性二人の情報はバグダッドにおいても入ってこない。現地のニュースでも行方不明者として報じている。

統治する者は自分たちで判断する(2004年4月18日配信)記事へ
日本人が無事に解放されていることはイラク人考え方というものが見えてきている。 イラク国内を統治する者は自分たちで判断する、部外者の統治は必要としていない、宗教と歴史がこの地には根づいている。

バグダッドは戦場(2004年4月19日配信)記事へ
現地に滞在する外国人ジャーナリストたちも現地滞在組と脱出組に分かれた。私自身も19日にバグダッドを離れる。 第2のベトナム化が叫ばれ、混乱を増すイラクに解決の糸口はまったく見えない。イラク復興支援という大義がイラク破壊支援活動に変わってしまった。

渡部陽一のイラク日誌 4月1日〜8日分(2004年4月配信)日誌を読む
渡部陽一の取材日誌

2004年5月


渡部陽一のイラク日誌 5月9日〜31日分(2004年5月配信)日誌を読む
渡部陽一の取材日誌

2004年6月


渡部陽一のイラク日誌 6月1日〜26日分(2004年6月配信)日誌を読む
渡部陽一の取材日誌

2004年7月


フセイン元大統領の予審始まる(2004年7月3日配信)記事へ
フセイン元大統領の予審が始まった。かつての独裁政権も完全に崩壊したものの今だイラク市民にとって"サダムフセイン"という言葉は恐怖の象徴となっている。 現地のメディアでも一面でフセイン予審を取り上げ、イラク市民は食い入るように目を通している。

イラク駐留米軍従軍取材記(2004年7月23日配信)記事へ
米軍従軍取材がスタートした。バグダッド郊外にあるタージでの従軍となる。 ベースキャンプ地はキャンプクック、10000人が駐留する巨大キャンプだ。朝からのバグダッド市内のパトロールに密着した。 カメラマンとしてハンビ(米軍攻撃型ジープ)に乗り込みキャプテン筆頭に第39師団に張り付いた。バグダッドでいつも米軍取材にてこずっていたゆえに、こうして米軍と共に行動していることが信じられない。

渡部陽一のイラク日誌 6月27日〜7月23日分(2004年7月配信)日誌を読む
渡部陽一の取材日誌