OurStory
スタートはアフガニスタン
2人が出会ったのはアフガン戦争でした。2001年9月11日のNYテロ。
当時、フリーランスとして活動していた報道系のジャーナリストは一斉にテロ取材にシフトします。フリーランス・ディレクターだった弊社代表。NYテロ以前からアフガニスタンを取材していた写真家。それが現在の弊社取締役である久保田弘信でした。
ドキュメンタリーの取材者と取材対象者。弊社代表と久保田はそういう関係だったのです。これがASIANEWS設立の礎となります。
この時に弊社代表が久保田を主人公に取材したドキュメンタリー「見えざるアフガン難民の素顔」(テレビ朝日・テレメンタリー)は同年のギャラクシー賞を受賞しました。
アフガンからイラクへ
911テロ以降、フリーランスの活動の場は大きく広がります。
かつてベトナム戦争で戦地に社員記者を送り込んだ新聞社や通信社。イラク戦争では米軍による空爆前に社員を撤退させます。
テレビ局、新聞社、通信社共に危険地帯である戦場に社員を送り込むことに躊躇いがありました。組織に縛られないフリージャーナリストが戦場からリポートを送ります。自己責任という言葉がクローズアップされたのもこの戦争です。
戦争の取材費は膨大なものとなります。同時に取材した映像や写真の著作権をどう扱うのかが焦点となりました。アフガン〜イラク戦争はフリーランスが活動する場が増え、結果的に報酬や地位も上がる契機となりました。
しかし契約交渉は決して平等なものではありませんでした。
個 対 組織 の大きな壁。
しかし重なる戦争、紛争でフリーランスも交流の場が増えることになります。
一方、既存メディアという組織の中で、現場に行けぬことに対する戸惑いを感じた記者も多くいました。
現場に行きたい、という気持ちはジャーナリスト個人で見るとベトナム戦争から何ら変わっていなかったのです。
在京局のカメラマンを退職した者。
大手週刊誌のカメラマンとして活動していた者。
港湾作業で取材費を貯めながら、常に戦場を目指していた者。
誰もが「この戦争を見たい、伝えたい」と感じていました。
現在の弊社中核メンバーのほとんどは、この戦争で結びつきました。
取材費交渉、衛星回線ブッキング、著作権交渉。フリーランスが決して得意ではないこれらの業務をどう行っていくのか。もしも、の事態が発生した場合、誰が「彼らの骨を拾う」のか。
私たちは資金を出し合い、ASIANEWSを設立しました。前身となる総合映像プロダクションに出資、報道部門ASIANEWSの誕生です。
Vision
私たちは売り上げ拡大を求めることは行いません。組織の拡大も行っていません。各メンバーにはノルマはありません。明日から3か月の休暇をとることも自由ですし来週から1か月の取材に出ることも自由です。
それでは、私たちが繋がっている理由とは何なのか?
私たちの取材の原点はあくまでも現場です。
かつてアフガンスタン、イラク、そして東日本大震災で多くのジャーナリストがこの言葉を数多く聞いたはずです。
「今起こっていることを世界に伝えてくれ」と。
フリーランスのジャーナリストは取材における著作権交渉、取材費交渉、日本での取材のバックアップなど多くの面で辛酸を舐めてきました。こうした面を協力し合いながら放送局、或いは出版社、新聞社と対等な立場で話し合い、個々の権利を守ること。そして個々の取材ポリシーは尊重しつつ現地で協力できるものは助け合うこと、を目的としています。
個々のジャーナリストの取材成果(映像・写真)を一本化することで大きなものが見えてくることがあります。我々はさまざまな媒体への素材配信に留まらず、こうした成果を一つの作品として発表します。
アジアニュース所属のジャーナリストは自己の意志と信念に基づき取材を行い、ASIANEWSはその取材をバックアップし、ジャーナリストは取材成果をASIANEWSを通じて発表します。
私たちが制作した自社制作DVD「伝えきれなかった〜」シリーズ。それは、まさにタイトル通り伝えきれなかったことを凝縮したものです。
私たちはメンバー個人の「伝えたい気持ち」を尊重します。
そのために仲間同士でできることを助け合う。これが私たちのルールであり、つながっている理由です。