日本人拉致


 緊急リポート・日本人3名拘束事件
4月16日更新

<報告>渡部陽一
1973年静岡県生まれ。
学生時代より世界の紛争地を取材。
ルワンダ内戦、コンゴ紛争、ユーゴスラビア・コソボ紛争、ソマリア内戦、パレ
スチナ内戦、コロンビア内戦、チェチェン紛争、イラク戦争など世界情勢を取
材中。


4月16日
ニュースが入ったとき、私はすぐには信じられなかった。拘束のニュースを見たときの映像は非常に衝撃的であり、正直に言うともう駄目
かと思っていた。情報が錯綜し、全く動きが見えない中、長期戦も覚悟していた矢先の解放。日本人3人が現地時間午後3時開放された。カタールのアルジャジーラテレビのニュースを受けバグダッド市内は歓喜の声が響き渡った。日本人3人を映し出すアルジャジーラ。その瞬間、私と一緒にテレビを囲むイラク人の間からも「オーッ」という歓声が沸き起こる。周りにいる多くの人々が自分たちのことのように祝福する。タクシー運転手のアシアさん(32歳)は語る。「解放されることを祈っていた、私の妻も子供も大喜びしている。イラクを助けにきている人を拘束することは断じて許すことは出来ない。」

年配者たちの井戸端会議では三人も日本人が解放されたことを「神の思し召しだ」と語る。現在3人の日本人は在バグダッド日本大使館に滞在しており、メディカルチェックを受けた後、本人たちの希望に準じて出国かイラク在留か決断を下すという。この衝撃的ニュースを受け世界のメディアは日本大使館前に集まり、一目三人の無事をカメラに収めようと場所取り合戦が行われていた。日本大使館の警備陣もイラク警察、時に米軍までもが駆けつける混乱振りであった。
今回の取材で、イラク市民から良く聞こえてくる言葉があった。「イラクの地を踏んだものは再びイラクの地に戻ってくる。」
三人がイラクの地を踏むことがもう二度とないのは当然である。しかし、イラクの格言を引用して「三人の再訪を願う」と語るイラク人の目には確信たる輝きが帯びていた。しかし依然として二人の日本人が拘束されたままである可能性が高い。この三人の解放を受けて二人の現状が報告されることを誰しもが待ちわびている。サマワで一緒に取材に出かけた安田さんは同業者である。そして渡辺さんもバグダッド市内で一度会ったことがあり大変気さくな人だった。未だに私は大きな衝撃を受けている。夜になり二人の事を考えると寝付くことも出来ないのが今の気持ちだ。とにかく無事でいて欲しい。今回の3人の人質の解放が、この二人の解放の何らかの契機になることを願っている。



4月15日
今日は渡部自身が誘拐されかける、という事件が発生している。
CPA近くの商店街、午後3時。イタリア料理店などの高級レストランが並び、バグダッドでも高級階級の人々が集うエリア。ここで日本のテレビ局の依頼でイラク市民の声を拾おうとカメラで撮影し始めた時、4人のイラク人が渡部にちょっかいを出してきた。
イラクで取材中によくある光景である。しかし様子がおかしい。やがて若者たちが渡部の体を引っ張り自分たちの車へ引っ張っていこうとする。やばい。

まさに間一髪のところでガイドが気付き、大声を上げながら間に入る。大口論となる現場。
瞬を突きガイドが渡部の手を引っ張り、取材車両に体を押し込む。
「何をやっているんだワタナベ。お前はもう少しでアルジャジーラに出演するところだったんだぞ!」。恐怖に言葉を失う。
これまで比較的(正にファルージャと比べて比較的、であるが)安全かと思われたバグダッドのど真ん中で、このような事態が起きるとは、
ある程度予測はしているものの、現在の状況が以下に切迫しているのか表している。
「ワタナベ、もう車から降りて取材をするな」。バグダッドでさえ取材をすることが非常に困難になってきた。


未だイラク国内においても日本人3人拘束事件の情報は行き詰っている。彼らがいつどこで誰に拘束され、いかなる場所に運ばれたの
か、拘束した武装グループ“サラヤ・アル・ムジャヒディーン”とはいかなる組織なのか、イラク人でさえもわからないという。13日にイラク
南部ナシリアで拘束されたイタリア人4人の犯行声明もやはりムジャヒディーンという名前が入っている。ムジャヒディーンとはイスラム聖
戦戦士を意味するものでアフガニスタンに於いて活動する武装組織が有名である。イラク国内でのムジャヒディーンが正当な評価をイラク国民から受けている情報はない。情報が錯綜し外国人ジャーナリストだけでなくイラク市民でさえも振り回されている。バグダッド西部ファルージャにおいてはアメリカ人の遺体がさらされているという事件が起こった。攻撃型ヘリが撃墜される事件も起きている。
市民の反応はアメリカに関するものと、その他の国に対するもので反応が違う。
例えば米軍ヘリの撃墜。これは無条件で「ウエルカム」。つまり良くやったと答える市民が殆どだ。これに対してイタリアの事件に関しては
「ナシリアでの衝突が背景にはあるのだろうが、悲しい事件だ」というコメントを聞いた。

イラク市民にとってファルージャとはイラクの最後の砦、イラク人としての誇りを最後まで捨てず占領軍と戦っている誇り高き場所として認
識されている。イスラム教の教えにあるジハード(聖戦)を現在でも踏襲しているイラク人の象徴である。それゆえ米軍への攻撃はすばら
しき偉業として認められ、ヘリを撃墜すればそれこそ英雄にのし上がるきっかけにもなっている。アメリカ暫定統治の限界は通り過ぎ、破
綻した。この先のイラク、第二のベトナムになる日が近づいている。



【4月14日】
バグダッド中心部にあるパレスティナホテル、外国人ジャーナリストが多数宿泊しているホテルとしてイラク市民の間では有名なホテルである。4月13日、現地時間午前8時、このホテル脇に迫撃砲が打ち込まれた。私の宿泊しているホテルから200メートルほどの距離に着弾し、すさまじき爆音が響き渡った。死傷者は出なかったものの宿泊者、さらにそれを防御する米軍兵士を狙ったものであることは明らかである。外国人を狙う事件が多発している。イラク民兵組織による砲撃、銃撃、そして拘束、拉致。特に日本人3人が拘束されたことを期に外国人が消息不明となる事件が多発している。すでに20人以上の人質が公表されているが、その中で解放されるもの、今だ未解決のものと誰がいつどのように拉致していくのか、そのプロセスはいまだベールに包まれている。イラク人でさえも外出を恐れ、バグダッド市内から出ることなど自殺行為であると断言している。人質をとることがいかに国際世論を動かすことができるか、拘束する側もよくわかっているようだ。ホテル脇の砲撃の3時間後にはイスラム教シーア派ムクタダサデル師のスポークスマンがパレスティナホテルを訪れ、米軍統治に対するクレームを改めて提出し記者会見をするも、そのまま米軍に拘束される事態となり現場は騒然とした空気に包まれた。ムクタダ師のスポークスマンを拘束することがより反米意識を高めさせてしまうことを米軍は重々承知しているものの力ずくで押さえ込んでしまうこととなった。数時間後のスポークスマンの解放後、バグダッド市内は静まり返った。タバコ売りのイラク人男性は語る。「明日大きな爆撃があると思うよ。当然だよ。」今のイラクは報復合戦の繰り返しで解決の糸口は見られない。


【from TOKYO】
パレスティナホテル界隈では毎日のように爆破、攻撃事件が続発している。渡部自身が爆発音や銃声を聞かない夜は無いと語ってい
る。こうした銃声や爆撃音は勿論CPAや米兵を狙ったものが多いがとりわけ銃声に関しては一般市民同士の打ち合いもかなり多い。イラ
ク国内の家庭の多くには銃がある。それは全て家族を守るためのものだ。直接銃を所持していないのは、外国の報道陣(もっともセキュリ
ティガードが持っていることが多いが)やNGO関係者だ。それゆえにこうしたグループは「ソフトターゲット」と称される。



【4月13日】
日本人拘束に関する情報が錯綜中だ。バグダッドにおいて世界中のジャーナリストが集っているも誰しもがカタール発の衛星ニュースチャ
ンネルアルジャジーラの情報に振り回されている。釈放ニュース、その撤回ニュース、この先はいったいいかなる動きがあるのか、ジャーナリストだけでなくイラク人でさえもテレビの前で釘づけとなっている。独自ニュースソースを得るためには拘束された現場や拘束されていると思われるエリアにもぐりこむことが一番なのであるが今のバグダッド、市内から出ることさえ難しい状態が続いている。命を取るか、情報を取るかそれぞれ個人の判断に任される。究極の選択の一つである。
今のバグダッド、相変わらずの戦時下である。一日に何度も聞こえてくる爆発音、街中に銃口を向けている米兵、アリババといわれる強盗団、各村々を抑えている民兵組織、いつどこで誰に襲われてもおかしくはない状況がここにはある。イラク国外に抜ける幹線道路が封鎖はされているゆえにバグダッドに残るジャーナリストは軟禁状態である。唯一残された空路も出国を望む記者たちでごったがえし事実上チケットが取れない。イラク戦争一周年がすぎ混乱に拍車がかかるばかりである。

fromTOKYO
午後3時(日本時間)。ASIANEWSのオフィスへまもなくアルジャジーラが重要なニュースをやるとの一報。待機に入る。なにやらテープがまた届けられたらしい。果たしてどちらに転んだ映像か?渡部に緊急待機と情報収集の指示を出す。17時まで待つ。しかし何の一報も入らない。20時頃。どうやらアルジャジーラに「人質解放」の映像が入る予定だったらしいことが判明。しかしなんら放送されることは無く、我々の緊張は肩透かしにあう。いかんせん情報が錯綜しすぎており、推測情報や推測報道が目立つようになってきた。どこに真実が埋もれているのか。東京、バグダッドとも情報に振り回された1日だった。(板倉弘明)



【4月12日】
日本人解放の声明が出されたことで混沌とするイラクに久しぶりの朗報が駆け巡った。4月10日、バグダッド時間午後10時、日本人を24時間以内に開放するニュースがカタールの衛星テレビから速報がながれた。拘束犯側がイスラム教スンニ派指導者の説得に応じた方針で、米軍側に手を貸していない一般市民を無条件に拘束してはならないという宗教見解を受けた形となった。イラク市民はこの日本人3人の拘束をイラク国内での悲劇、イスラムの恥であると口角泡を飛ばす勢いで語っていた。その中での解放報道は外国人だけでなくいラク市民までも歓喜の渦に巻き込んだ。バグダッド中心にあるパレスティナホテル、さらには日本大使館前には世界中の報道陣が集い、日本人の解放を今か今かと待ちわびていた。ところが状況は一転する、24時間以内の解放声明が自体が架空のものであるという情報をやはりカタール発の衛星テレビが現地時間午後5時過ぎに報じた。日本人を解放すること自体が振りだしに戻るもので、再度日本側に自衛隊をイラクから撤退させること、外務副大臣をイラクの激戦地ファルージャ視察に訪問させることというさらに過酷な要求が突きつけられることとなる。未だバグダッド限らずイラク国内は混沌として状況だ。街の要所要所には完全武装の米兵が立ち、空には攻撃型ヘリが低空飛行を繰り返している。村々には武装民兵が徘徊し道行くものを拉致する状態だ。市民の姿も相変わらず目にすることは少ない。イラク市民の口からは「これが今のイラクなんだ、戦後一周年で状況は悪くなる一方、自由も平和も愛情もなくなりつつある。悲しいことだ。」戦後復興どこ吹く風で戦場が次々と出来上がりつつある。

From TOKYO
午前10時にパレスティナホテルへ向かう。人質が解放後、ここに来るのではないかという観測。この時点でおよそ10人のマスコミがいた。一旦ホテルへ戻り12時に再びホテルに向かうと既に30人の報道陣。続いて13時に日本大使館に向かう。ここにもおよそ30人のジャーナリスト。武装したセキュリティーガードを連れてきている社は1社のみ。誰も歩いていない市内の片隅(大使館前)で日本の報道陣だけが集まっている異様な光景。後でイラク人に「危険な状態」だと指摘される。午後4時,再びパレスティナホテルに向かいテレビ中継で日本にむけてリポートを送る。AP通信のローカルスタッフが気を遣ってくれる。APのスタッフも日本の事件の速報がテレビで流れるたびにびっくりしながら見ていた地元のジャーナリストとも話すが、「同じイラク人としてもひどいと思う。イスラム教徒として見ても今回の事件はおかしい」と話していた。【渡部が電話で送稿したものを書き起こしました】



【4月10日】
イラク、バグダッド陥落一周年を迎えた。バグダッド市内はゴーストタウン状態である。本来道は人で溢れ、マーケットは物資と活気で満ち溢れている。そうしたかつてのバグダッドの姿はどこにも見られない。人の姿を見かけることや車が走っている風景、イラク警察官の激しい検問の姿もそこにはない。その代わりには街の要所要所に完全武装のアメリカ兵が銃口を市民に向けている。装甲車や戦車がバグダッド全域をとりかこみ、外国人ばかりかイラク人までの外出禁止を発令する。昨晩から絶えず大きな爆発音が鳴り響く。ジャーナリストが多数泊まっているホテルの脇でも爆発が起こる。まさにイラクの今は戦場だ。日本人3人が拘束された事件を受け現地メディアはトップニュースで報じている。日本人の拘束されているテープがイラク国内でも繰り返し流されているでイラク人誰しもがこの悲劇を見守っている。
その背景見え隠れする武装組織もなぞのままだ。イラク人でさえ聞いたことがないという。日本人だけでなく、韓国、カナダ、アメリカ人と連続誘拐事件が多発している。爆弾テロや銃撃戦だけでなく今のイラク内での新しいレジスタンス活動として誘拐のキーワードが跋扈し始めている。戦場に逆戻りしてしまったイラクに希望のかけらも見えない。
夕方6時半ころ。ホテル近くの米兵を取材中突然爆発音。地響きのようなドでかい音。シャラトンホテルの裏側の方向だ。一斉に米兵が飛び出す。そしてジャーナリストも一斉に飛び出す。しかし米兵により制止。ホテルから様子をうかがっていた。その20分後。今度は遠く
の方で銃撃戦の音が。さらに1時間後、再び遠方で爆発音。この時APTNで日本に向けて映像を衛星伝送中だった。AP通信がカメラマンを送るか悩むが、危険すぎると言う判断で見送り。ツワモノAPも恐れている。こうした音は連日聞こえ、イラクの日常の一部なのである。





【4月9日】
イラク戦争1周年を迎えイラク国内は混乱状況だ。特にイスラム教シーア派の動きが目立ち、強硬姿勢を打ち出しているシーア派指導者ムクタダサデル師の持つアルマハディー軍が各都市で駐留軍と衝突を繰り返している。バグダッド市内だけでも約400万人のシーア派教徒が住む。その多くがバグダッド北部にあるサデルシティー(旧サダムシティー)に集中している。4月4日から連続でこのサデルシティー内のムクタダ師支持者掃討作戦が米軍によって展開され戦車で街を取り囲み空は攻撃型ヘリが攻撃を行った。米軍、イラク人側にも死傷者多数、攻撃が繰り返されればその報復攻撃に終わりは見えない。
バグダッドの街中は普段通りの市民生活が営まれているも、誰しも危険を察知してかかつての早朝と夕方の交通渋滞は格段に減ってきている。そうした混沌としたイラクで日本人3人がイラク武装勢力によって拘束された。男性二人、女性一人、それぞれジャーナリストとNGO活動家である。イラク国内でこうした拉致が行われることは過去に何度もあった。ただアルマハディー軍の活動が活発する中、ここ数日で少なくとも3カ国の外国人が連続で拉致されている。こうした事件に巻き込まれないようにする逃げ道はない。いつどこで誰が自分たちを狙っているかはイラク人でさえもわからないという。ジャーナリストの男性が拉致されたことでイラクに滞在する各国のジャーナリストも悲しさと恐怖に打ちのめされている。取材に伴うリスクを改めて見直すもその答えがはっきりしない。イラク取材の方法が再度見直され始めている。女性の高遠氏に何度かイラク国内でお話しする機会があった。プライベートNGOとしてイラクの子供たちへの復興支援を地道に重ねていた。非常に温和で行動力に富み、イラクにも精通している女性である。彼女がいかなる経緯で事件に巻き込まれたのか、背景は依然闇の中である。
<イラク・バグダッド渡部陽一>