3月22日
銃撃戦のあったアパートがどうなったか再び訪れる。
正直言って行くのはちーと恐かったが、どういう理由で発砲事件が起こったのか詳しく聞いてみる必要がある。意を決してアパートの前で車を降りる。最初撃たれた側のアパートを訪ねインタビューをお願いする。
玄関の前で母親に断られたが、とにかくあなたたちの言い分も聞きたいとお願いし、何とか家に上がらせてもらった。
おばさんは「もともと子供たちの喧嘩が原因なのよ!」と話だした。なにー!子供の喧嘩が発展して銃撃戦になるのか?この国は!
大抵のことに驚かなくなってきた僕だが、さすがにこの言葉には驚いた。まずもって子供がカラシニコフを簡単に持ち出し、撃ってしまう状態は異常だと思う。長く内戦が続いたアフガニスタンでさえ、子供の喧嘩で銃を撃ったという話は聞いたことがない。銃撃戦に使った銃はどうしたんですか?と聞くと「米軍が持っていちゃいけないって言うから売ってしまったわよ」と言う。
しかし銃のことを質問しているときのおばさんの視線を見ると、あーあっちの方に隠してあるんだなー!と分かってしまった。
おばさんにお礼を言い、今度は逮捕された少年がいるおうちを訪ねる。アパートに入ると異臭が!一階のフロアに汚物が溢れ出している。先のアパートより格段に環境が悪い。地元のイラク人が転びそうになる。僕は何があってもここでは転びたくないなーと思いながら慎重に足を進めた。
三階にあがり逮捕された少年のお母さんに会う。またもやインタビューはお断りと言われた。当たり前だろーな。僕は緊張を隠し、お母さんの言い分も聞きたいんですよ。と話し、またもや家に上がらせてもらった。
家に上がってびっくり。
そこには逮捕された青年がいた!えー!マジ?カラシニコフを撃ちまくって米軍に逮捕されてからも暴れてい少年が目の前にいる。
これまた空爆とは違った緊張感に襲われた。しかもお母さんと話しているうちに立ち上がって外へ出て行くではないか。図らずも銃を持って帰ってきたらどうしよう?と想像してしまった。
まさか自分の母親と一緒に僕を撃つことはないだろうから、できるだけお母さんの近くにいよう。などと頭の奥で考えながらインタビューを続けた。お母さんは次第に饒舌になり、現状の不満をたくさん話してくれた。
ここでもサダム・フセインの時代の方がまだましだったという言葉が聞かれた。銃はどうなったのですか?と聞くとはっきりとは答えてくれないものの、家にはまだ武器が隠されているようだった。最後に少年と一緒に記念写真を撮った。
少年は少しだけ微笑んでくれたが、心は微笑んでいなかった。