自己責任
ジャーナリストの負う自己責任とは何か 2004年4月18日
4月17日、2名の日本人が解放され、一部報道では「全面解決」と伝えられた。
しかし解決していないことが少なくとも一つはある。それはジャーナリストの「自己責任」問題だ。4月18日現在、アジアニュースには4名の日本人ジャーナリストが所属しており、今回の事件はこの4人誰に降りかかっていても全くおかしくは無い状況であった。それではジャーナリストが負うべき自己責任に基づく取材とは何なのであろうか。
私が考えるのは2点である。
まず現場での撤退、追跡は全てジャーナリスト個人が最終的には判断するべきということ。
そして考えられる全ての対策は常に尽くしておくこと。そしてその上で何らかの事故、事件に巻き込まれた場合には全ての責任を自らが負う。つまり死のうが怪我をしようが誰も助けには来てくれない、ということを再認識する、ということである。
ここで念を押しておきたいのは「事件に巻き込まれた場合には全ての責任を自らが負う。つまり死のうが怪我をしようが誰も助けには来てくれない」という結果が最初にありきではない、ということだ。
つまりそこに至るまでの決断までにどれだけ対策を採ることのほうが重要だという点だ。私たちは今回の渡部滞在中、まず退路を確保することを最重要事項に掲げ、アンマン行きのチケットを確保した。そして地元ジャーナリストから入手した最新情報と、日本で入手できる客観的な最新情勢を付き合わせ、取材できるポイントを選択した。つまり「行ってはいけない場所」を決めていた。
最初の時点でそれはバグダッド市内のみ取材可能、というものであった。しかし4月15日に渡部自身が身柄を拘束されかける事件が発生し、それからは市内での取材も基本的にはホテル周辺と大使館前という状況に追い込まれた。また単独行動を完全に禁止した。少なくとも地元ガイドとの行動を義務付けた。夜間の取材は当初から行っていない。
今回の事件では人質になることで自分の身柄が政治的に利用される恐れがある、という新しい認識をもたらした。これまでの紛争地での取材で負傷したり、死亡するという危険性は認識していたものの、自分が生きたまま捕らわれ、政治的交渉の材料になることは正直言って私も予測していなかった。
認識不足であったと指摘されればその通りである。それではこの場合の自己責任はどのように負えばよいのか?私が今の時点で答えられることは「自分だけの責任では負いきれない」というものだった。これは苦渋の決断である。なぜならば自己責任が負えないのであれば答えは「撤退」しかないからだ。
ジャーナリストの基本とは現場で取材をすること。言うまでもなく基本的なことだ。しかしその活動が政治的に利用されることがあってはならない、と私は考える。
私は渡部と話し合い、上記の理由から現時点ではイラク撤退するという点を話し合い、お互いに納得した。渡部陽一は19日にバグダッドを離れる。だが私たちにはもう一つ課題が残る。私のこの結論は私の中でのものであり、フリーランスの集合体であるアジアニュースではこの考えをメンバーに強制することは出来ないし、したくは無い。今後渡部が帰国した後、私たちは全員でこの問題を話し合わなければならない。少なくともアジアニュースの中ではこの問題は解決していない。
「俺は死んでもいい」。私はこの言葉ほど無責任な言葉は無いと考える。
ASIANEWS 板 倉 弘 明