ストーリー




戦場の白い戦車(撮影:板倉弘明/2003年)

絶望だけではない・戦地で希望を見つける
これは私たちがイラク北部にあるクルド人の支配地域で出会った戦車です。現在はISの支配地域と重なっており近付くことは極めて危険なエリア。道端にサダムフセイン率いた旧イラク軍が放棄したと思われる戦車が止まっていました。

車体は白いペンキで塗られており、子供たちが描いたらしき人物像が、側面全てを埋め尽くしています。花畑の中で様々な民族衣装を着た子供たちが手をつないでいます。顔をよく見ると涙も見えます。戦車の傍らには「END OF WAR」と書かれていました。白い戦車は戦争が終わった喜びを表した壮大なキャンバスだったのです。

戦禍の取材では多くの悲しみや憎しみに出会います。取材者として「もうやめよう」と思うのは数度ではありません。しかし白い戦車のように希望が見える時があります。映画では悲しさや憎しみという人の弱さを伝えるだけではなく、そこで生まれた人の強さや希望も伝えます。

こどもたちにも見てもらえる映画にしたい

戦争映画と聞くと身構える方もいらっしゃるかもしれません。私たちはお子さんにもこの映画を見てほしいと思っています。この映画にはいわゆる残虐・残酷なシーンもありません。しかしいま多くの人は戦争を知らない世代。戦争の空気を感じていただくためにバグダッドでの空爆、そして街中での発砲現場などのシーンは収められています。

いうまでもなく戦争は悲惨です。弱者は極限の状態で生活をしています。それでも人は強い。現場で感じたことです。私たちは戦禍の厳しい状況も伝えますが、同時に人の強さも取材し伝えるようにしています。本映画は少なくとも中学生以上の方には内容が十分に伝わるよう、構成や映像、字幕に配慮する予定です。


映画のあらすじと取材者の目線

映画はフォトジャーナリスト・久保田弘信(ASIANEWS)の目線で綴られていきます。久保田カメラマンはアフガン戦争前からアフガニスタンやパキスタンなどの周辺国で難民を追い続けてきました。彼のレンズは戦場を追われた子供や家族に常に向けられています。

この戦争で久保田カメラマンは開戦のおよそ1か月前にイラクに入り、空爆下で取材を続けた後、現在まで継続して現場を訪れています。
街中で戦前に出会ったジュースを売る女性家族や、ごみ山の様なスラムで暮らす一家を追いかけます。しかし戦後、市内の危険度は増し街中での取材は危険度が大きくなってきます。私たちは子供たちから投石を受けるまでの状況に。

映画は時間経過とともに、イラクやシリアに憎しみが増していく状況を刻々と記録していきます。パリの連続テロに続く「憎しみの連鎖」はどのように生まれたのかを紐解きます。
一方、久保田カメラマンは戦場に赴きますが、いわゆる戦場(だけを撮る)カメラマンではありません。彼のレンズは人の優しさを探しています。日本人とわかると「お茶を飲んでいけ」と勧めていく街中のチャイ屋さん。


空爆直後のバグダッド市内で配給を受ける市民たち(撮影:久保田弘信/2003年3月)

スラム街で自宅の軒先でジュースを売りながら家計を立て、たくましく生きる女性一家。
クルドの油田近くで、戦争直後も何事もなかったかのごとく農業を営む家族。
逆境にあっても懸命に生きる人の姿を追います。


戦争前から自宅軒先でジュースを売る一家(撮影:久保田弘信)


イラク北部クルドの油田近くで出会った一家(撮影:久保田弘信)

一方、私たちの仲間には「戦場系」のカメラマンもいます。
戦場カメラマン・渡部陽一はかつて私たちのメンバーでした。彼は人間の極限状態にある戦場に冷静にレンズを向けます。


カメラマン・梅基展央は週刊誌・写真誌の撮影を長らく手掛けており、どんな状況でも冷静に現場全体を切り取ります。

私たちがバグダッド市内で取材中、突然銃声が響きます。市民が身を隠すために周囲のビルに駆け込む中、梅基・久保田の両カメラマンは銃声のする方向に駆け出し、レンズを構えます。

やがて米軍の兵士が現場に駆けつけ、にらみ合いが続いた後に突入。兵士はまだ若い少年を逮捕します。そのすぐ後を裸足のまま追いかける母親。必死の形相で米兵に何かを叫んでいます。

しかし少年はそのままどこかへ連行されてしまいます。
数日後、私たちが現場を再訪すると日本では考えられなかったこの事件の背景が明らかになります。

※この発砲事件は、当日に久保田カメラマンによってTBSで速報、梅基カメラマンはAP通信を通じて世界に写真を配信した。


バグダッド市内の発砲事件で米軍に逮捕される少年と母親(撮影:梅基展央)

米軍の空爆はサダム・フセイン一族の住居や政府施設だけではなく報道機関も破壊しました。国営放送を訪ねるとそこは廃墟。床には焼け落ちたフィルムやビデオテープが散乱していました。

戦争とはその国の文化や言論も破壊することを思い知らされます。しかしここにも光はありました。

この廃墟には空爆で自宅を焼き出された人が住んでいました。新たな命が生まれ、まだ中学生の女の子は将来は「この国のために」外国で働きたい、と私達に話します。

新しいメディアも生まれました。連合国の主導で立ち上げられたメディアもありますが、記者達はイラクの未来像を探るために取材を続けています。


戦争後に開局したイラクのテレビ局クルー(撮影:板倉弘明)

やがて日本の自衛隊も復興支援のために部隊を送り、学校の復興支援や給水活動にあたります。しかし戦後のはずなのにイラク国内ではテロが連続して起こります。

イラクには日本の外務省から退避勧告が出され、主だったマスメディアは撤退。現場に残るのは欧米のメディアと日本のジャーナリスト、という状態に。

私たちも街中で子供達に投石を受けるまで治安と、外国人に対する国民感情が悪化していきます。


ホテルの爆破現場で中継する海外メディア(撮影:板倉弘明)

バグダッド市内で起きた爆破事件現場で衛星中継のスタンバイに入った海外メディア。圧倒的な規模でニュースを伝え全世界に映像配信をしています。

日本のメディアはこうした海外のメディアから配信される映像を年間契約で購入し自社の放送で流すことができます。

同じ事件でも攻撃側と被害側のメディアの国籍で取材目線は大きく異なってきます。イラク戦争は日本も関与した戦いです。日本のジャーナリストが現場にいなければならない理由はそこにあります。


ASIANEWSイラク取材チーム

久保田カメラマンが取材先で出会った市井の人々の戦前と戦後を丹念に取材した映像。これに加えてASIANEWSメンバーが取材した戦後のイラク、そしてシリアの国内避難民や難民の取材様を織り交ぜながら映画は進行します。
2014年、久保田カメラマンはシリア国内の政府軍と反政府軍・戦闘最前線にある野戦病院を密着取材しました。映画の最新映像はこの時の模様、そしてパリ連続テロ事件後の欧州の難民受け入れ最前線の取材までを収録する予定です。


ダマスカスの国内避難民のキャンプ。お絵描きをする女の子(撮影:久保田弘信/2007年)