3月18日





午前2時13分、いつもの如く眠い目をこすりながらヨルダンを出発し、バグダッドに向かう。

テレビを見ているとバグダッドにいる報道陣がみんな薄着なので軽装で来てしまったが、ヨルダンは寒い。 しかも国境はかなり寒いのを忘れていた。僕があまりに寒がるものだから、渡部君が毛布(とあるエアーからお借りしたもの)を僕に貸してくれた。


国境は閑散としていた。一時期のような混雑もなく、あっという間にヨルダンを出国しイラクのスタンプを押してもらった。え!待て。イラクでスタンプ?戦後今まで米兵もしくはイラク人がパスポートをチェックするだけでスタンプを押されたことは無かった。


ついにイラクにもスタンプが出来てしまったようだ。国境に米兵の姿は無く、イラクに完璧にハンドオーバーされたようだった。あーあ。またアメリカに入りにくくなってしまった。



 順調にバグダッドに向かっていると思っていたけど、今回もトラブルが。なんと僕の乗った車がミッションオイル漏れを起こして止まってしまった。仕方なくもう一台の車に乗り換えてバグダッドに向かう。一台で走っていなかったのが唯一の救いだ。


トラブルは続くもので、何か事件があったようでハイウエイが封鎖されていた。しかも場所が一番危ないスンニトライアングル。
僕たちは仕方なくハイウエイを降り、ファルージャの街中を走る。見た目は平凡な街なのだが、ドライバーが早く街を出ようと焦っているのが分かる。 やはり危険度が高いのだろう。ここで事件に巻き込まれたら米軍を恨むなー!と思っていたが、何事も無く街を抜け、ハイウエイに戻ることができた。


 途中、車のトラブルがあったものの午後二時過ぎにはバグダッドに到着することができた。早々とチェックインを済ませ、昨日爆破事件のあったマウントレバノンホテルに向かう。到着してビックリ。ホテルがほぼ半壊していた。余程大きな爆弾を使わなければこれほどのダメージは残せないと思う。

ホテルの周りには非常線が張られ、米軍が警戒態勢をとっているが、非常線の中に何台もの中継車が入っていた。IDを見せるとすんなり中に入ることができた。ホテルの壊れ方にも驚いたが、一番驚いたのは警戒にあたっている米軍が妙にリラックスしていることだ。

戦車も二台配置してかなりの厳戒態勢をとっているように見えるが、兵士の表情が明るいのがとても不思議だった。米軍にも27人の死者がでたのになー。


写真を撮りつつ、なんとなく米兵に近づき質問をしてみた。「ちょっと質問していいですかー?どんな爆弾が使われたか分かりますか?」答えてもらえないと思って 聞いたのに。「質問。勿論OKだよ。自動車爆弾でやられたんだ。恐らく800キロから1000キロの爆弾が使われたようだ」と気軽に状況を教えてくれた。

これはいけると踏んだ僕は「ちなみにトータルで何人くらいの人が亡くなったんですか?」「今のところ80人だよ」。今まで米兵にカメラを向けたり、質問することなんか出来なかったのに。僕が想像するに、米兵も話したい事が沢山あったのに上層部からの命令で話せなかったと思う。

これほど大きな事件が起こってしまうと さすがに質問に答えざるを得ない。この機会に米兵さんも自分の想いを話し始めたのではないだろうか?「どのくらいバグダッドにいるの?」と聞くと「もう11ヶ月なんだよー」 と答えてくれた。

「早く帰りたい?」と聞くと「・・・笑顔」だった。僕が話しを聞いた兵隊さんは20歳と21歳だった。