4月1日〜


渡部陽一イラク日記4月1日〜

4月8日 
日本人3人がイスラム武装組織によって拘束されるニュースが飛び込む。現地時間午後3時前後、中東衛星テレビアルジャジーラが伝える。4月に入ってからイスラム教シーア派の動きが活発であった。バグダッ ドに限らずナシリア、ナジャフ、クーファ、ファルージャ、バスラとイラク全土で激しい銃撃戦が繰り広げられた。
シーア派指導者ムクタダ・サドル師率 いるアルマハディー軍が武装蜂起し占領軍限らずそれに手を貸すものすべてを対象に武装攻撃を仕掛けていた。ムクタダ師のアンチアメリカを掲げるアルハウザ新聞の米軍からの強制廃刊、サドル師の側近のムスタファ・ヤークビー師の拘束を受けて一気にイラクが再び戦場となった。

治安が不安定というより各地が戦場となっている今、イラク戦争一周年を迎えて改善された点は何もないとイラク市民は語る。日本人拘束が起こったこと、現地では悲劇と恐怖の 事件として駐留外国人、イラク人ともども恐れおののいている。明日でバグダッド陥落一周年となる。こうして原稿を書いている外で大きな爆発音が断髪的に聞こえてくる。 今のイラクは戦場だ。



4月7日 
数日前のバグダッドサドルシティー内での米軍とシーア派ムクタダ師率い るアルマハディー軍との衝突からサデルシティーは米軍に包囲されている。サデルシ ティー内には米軍の焼かれたハンビ(米軍の武装ジープ)が転がり市民たちがそのパーツを取りはがしてい る。バグダッド市民の生活は平静を装っているかのようだ。本来のバグダッドの名物であった朝と夕方の交通ラッシュも少なくなりつつある。

4日、5日と激しく続いたサデルシティー内の爆撃、銃撃戦もここ2日静まり帰っている。イ ラク人ガイドが語る「これは嵐の前の静けさだ。これからバグダッド陥落一周年の9日、10日のカルバ ラのアルバインというシーア派巡礼とイラク最大の事件や催しが控えている。この両日に何もおこらないはずがない。注意して人の動きと情報を収集して取材を続けよう。夜には相変わらずの爆発音が鳴り響いていた。



4月6日 
3日間のサマワ取材を終えてバグダッドに戻る。サマワでは本日サマワ市長の下にデモが繰り広げられるといっていた。結局取りやめになったのであるがバグダッド方面からアルマハディー軍がサマワ方面に南下してきているという情報が入る。バグダッド昼過ぎ着、サデルシティー内で繰り広げられる米軍とアルマハディー軍との銃撃戦は収まりつつあるも町は米軍戦車で取り囲まれている。私の運転手のうちの前でも米軍車両が攻撃を受け、火をつけられるという。一角が封鎖され誰も出入りができないという。ガイドと共に街中の取材を続ける。人は普段どうりあるき、マーケットも開いている。そうした普段のバグダッドの活気も夕方からは静まり返っていた。街のいたるところでの検問も激しく、本来30分で移動できるところを1時間以上費やす状況だ。バグダッドに入る道という道が封鎖、もしくは激しい検問所に変わっていた。



4月5日  
サマワの町は依然静かだ。自衛隊のブリーフィングを夕方に聞く。バグダッド、バスラ、ナジャフで激しくレジスタンス活動が繰り広げられている。シーア派の多いサマワにも現実が迫ってきている。街中はサマワ警察が頻繁にパトロールしている。警察の口からも治安は他の都市とは比較にならぬほど安定しているとかた る。街中をオランダ軍の装甲車や米軍のコンボイトラック軍が通過する状況を何度もめにする。日が沈んでからも他の都市とは違って市民が街中を歩いている。インターネット屋も繁盛している。サマワに入るまで検問は結構あったのだが検査はそれほどでもなかった。外国人ということでタダでさえ目立つ。用心に用心を重ねて写真を撮り続けた。テレビの前にはバグダッドでの激しい光景が映し出されている。市民たちは呆然とニュースを眺めていた。



4月4日  
バグダッド取材からサマワに出発する。サマワを流れるユーフラテス川が氾濫し多くの市民のうちが水没してしまったと情報が飛ぶ。先月からすでに川の水は増水しておりサッカー場や橋が水没していた。バグダッドから4時間でサマワに到着する。途中何度も検問に引っかかり、職務質問を受ける。さらに高速道路を米軍の軍用車両や物資を運ぶトレーラーコンボイが何十台と連なり彼らを追い越すことも許れない。米軍が銃口を向け近づくものをすべて停止させている。最終的に高速道路が米軍の検問で事実上封鎖させられてしまったので旧道を通過しながらサマワに向かった。気温も35度前後に上がっている。ただし夜はとてつもなく寒い。毛布を3枚かけてこの日は床に入った。



4月3日  
日の出早々、サデルシティー内でのアルマハディー軍事訓練に潜入した。全身真っ黒の服をまとい顔にはやはり真っ黒なマスクをしたアルマハディーの兵士たちが軍事訓練と軍事パレードを繰り返している。人数も膨大だ。サデルシティー内はシーア派教徒が数百万人規模で住んでいるエリアである。シーア派教徒にとっては最後の牙城である。この中で来るべき日に備えての軍事訓練、不気味な空気に包まれていた。取材中ガイドとはぐれてしまい彼の行方を捜す。4時間たっても帰ってこ ない。米軍とのトラブルに巻き込まれたと思い探しにいくも見つからない。ドライバーとサデルシティー内を探しているうちにイラク警察に逮捕させられていることがわかった。撮影中職務質問にあい、そのまま連行されてしまったという。無事に5時間後ガイドと再会を果たす。サダムシティー取材はこれだからいやだと嘆息を漏らしていた。



4月2日  
本日もバグダッド市内で大きなデモが繰り広げられた。ムクタダ師支持派がCPA(暫定当局)前に押しかけ、アンチアメリカの横断幕を掲げる。あまりの人の数に人間の地平線ができるほどだ。金曜礼拝も同時に行われシーア派指導者が演説を打つ。市民は礼拝が 終わった後あたりから集団心理で興奮状態に陥り、一部の暴徒はフェンスを乗り越えCPAに乗り込んでいこうとする。いたるところでジャーナリストも撮影意中にいたるところで市民と押し問答になる。礼拝が終了した後も市民はCPA前でデモを行い米軍と一触即発になる。この興奮状態の中で私の乗っている車が米軍に潰されてしまった。ボンネット右側を米軍車両が蛇行運転で乗り上げ車を破壊して立ち去っていった。私、ガイド、運転手、呆然と立ちすくんだまま会話はなかった。



4月1日  
バグダッド市内で大きなシーア派デモが繰り広げられている。イスラム教シーア派ムクタダサデル師率いるアルマハディー軍、バグダッドに限らず他の年からも集まってきたシーア派教徒が数万人規模のデモを行う。デモの横断幕には廃刊に追いやられたムクタダ師の宗教新聞アルハウザ新聞の復活、改めてムクタダ師に忠誠を誓うデモとなった。バグダッド市内に限らずナジャフ、クーファにおいてもデモが繰り広げられた。ムクタダ師とシーア派指導者はシーア派強硬路線をとる。イスラムの原点に戻ることを改めてといている。シーア派の中にはサデル家、ハキーム家。そして大アヤトラといわれるアリーシスターニ師が代表格となっている。アリーシスターニ師が精神的指導者であるならばムクタダ師は下層階級から最も支持される民衆の中のリーダー的な存在である。バグダッド市内にはこのムクタダ師のポスターがいたるところに掲げられムクタダ万歳の大合唱が行われていた。