1月26日
6時半に起きる。寒い、眠い。ずーっとベッドの中にいたい気分を無理矢理切り替 え仕事モードに入る。
まずは自衛隊の朝のミーティングにでる。折角早起きしたのに ミーティングはなかなか始まらなかった。ようやく広報担当の福田氏が現れ、話をす るが、「現時点で今日の予定は決まっていません。12:30にもう一度来てくださ い」という内容だった。
時間がもったいないのでスーク(市場)の様子を見に行くこ とにする。アーケード街のようなスークの中にまたまた日本人歓迎の垂れ幕があった。 理由はわからないが、イラクのバスケットチームからの垂れ幕だった。
自衛隊、先遣隊隊長の佐藤氏とその姿を撮影する広報の福田氏。
ちなみに福田氏が使うデジカメは僕とお揃い?
食事を終え、再びオランダ軍の基地に向かう。
今日の自衛隊の行動は現地の橋、道 路の視察だということで自衛隊の車が走り、マスコミの車が追いかけるという状態が つづいた。そんなさなか日本から緊急のメッセージが届いた。日本のジャーナリスト に対してテロの予告があったと。一気に緊張が走った。
それを受けた某テレビ局は即 座にサマワからの撤退を決めた。僕たちはどうするか?勿論、残るしかない。
とりあ えず自衛隊の取材を続ける。自衛隊の隊長さんが僕から20メートルくらい離れた所 にいる。
周りのカメラマンはみんな望遠レンズで撮影している。僕も撮影したい。し かしエミレーツ航空のせいで手元に望遠レンズがない。カメラマンとしてこんなに辛 い事はない。思わず隣りにいたEPAのカメラマンに事情を話し、レンズを借りる。お 陰様で彼は快く僕にレンズを貸してくれた。日本人のカメラマンだったら貸してくれ たかな?
自衛隊の行動に同行し、少しずつ彼らと世間話しをする。重装備の警備役の兵隊さ んとお話をする。
「いままでセキュリティーで困った事はありますか?」「お陰様で いまの大丈夫です」。
周辺諸国の新聞も自衛隊の事を他の軍隊とは違い、人道支援の ためにイラクに入ったと書いてくれていますね」と僕。
「有り難いです」。
先遣隊と いう任務はかなり大変だと思う。先遣隊が入って1週間が経過した今、イラク人の感 情も良いとわかったから動きやすいだろうが、始めて入った時はどれほど彼らが緊張 しただろうかと思う。今回の人道支援プログラムの為に海外に派遣された自衛隊の人 たちが政治のコマにされることだけは避けたい。
夕方の 途中、プレス同士のカーチェイスまがいがあったものの、何とか一日のスケジュール が終わった。
ミーテイングでプレスパスの事が問題になった。
自衛隊としても誰がプレスなのか認 識するために仮のプレスパスを発行したい。
とそれに対してプレス側から、「日本の 防衛庁とマスコミの間で、未だ論議がされている中で仮とはいえプレスパスを発行す るのは問題があるのではないか」との声が。確かにそうだと思う。
仮のパスを受け取っ た時点で自衛隊の思うがままでは困る。また他の記者から「イラクではテロのターゲッ トになっているCPA本部ですらパスを発行していない。来る者は拒まずという体制で、 セキュリティチェックだけしっかりやっている。人道支援に来た自衛隊がパスのある なしで取材を受け付けたり拒否したりするのはおかしいのではないか?」
うーんこれ またおっしゃる通り。日本は今のところ歓迎されているし、アメリカ軍ですらオープ ンな扱いをしているのに日本が閉鎖的なのはどうかと思う。この件は明日以降に持ち 越されたが、今のところ自衛隊の現地での活動は日本に報道できる状態にあるが、様々 な制約がかかり、一部の人間しか報道する権利を得られなくなるのは問題だと思う。
とはいえ、自衛隊の人だけが悪いとは思えない。憲法9条の解釈を含め、あまりにも グレーな部分が多い中、派遣を決めてしまった日本政府の曖昧さに問題があると思う。 今日、自衛隊本隊の派遣が決定された。