職業安定所



戦後イラク情勢 9月29日配信

職を求め殺気立つ市民
5月1日にイラク戦争の終結が宣言されて以来、ティグリス 川流域に設置されているイラク職業安定所兼社会保険事 務所前には殺気立ったイラク市民が殺到している。戦時体 制下、その日暮らしを余儀なくされているイラク市民にとって新たな職を手にすることは夢のまた夢である。気温56度という灼熱の中、午前7時から夕方4時までアメリカ主導のCPA(イラク暫定統治機構)によって仕事の斡旋、給料未払いの決算、高齢者に対する生活保護金が支給されている。一人当たり20ドルの退職金、もしくは生活保護金を1回限り受け取ることが約束されている。受け取り行列に6時間並んでいるバグダッド、旧サダムシティー在住の自動車修理工、モハメッドさん(57)は口角泡を飛ばす勢いで語る「アメリカ侵攻してきてイラクは廃墟となった。私の家も破壊された。そのアメリカが我々に仕事を斡旋している。生 活保護金20ドルを高齢者に給付している。アメリカが自ら 壊して自らがイラク市民の面相を見るといっている。わず か3ヶ月前まで私は仕事があり子供たちは学校にいってい た。伝統にのっとった我々の生活がそこにはあった。アメリ カはイラクに自由をというけれど、どこが自由なのか?」

身元調査
実際、職を斡旋してもらえる人は皆無である。CPA側からのお墨付き、つまりアメリカのイラク侵攻を容認する人以外は蚊帳の外である。年金配布(事実上の生活保護)に関しても年齢、性別、生活環境の基準は無くCPA発給の受け取り証明書を保持しているかの審査で配布が決定される。そのCPA証明書を手に入れるためには米軍の身元調査をパスしなければならない。イラク市民でそうした証明書を保持している人は事実上いない。それでも市民たちは職業安定所まえに行列をつくる。収入がまったく無い状況ではこの職安に足を運ぶことしかすることがないのが現状だ。イラク国民の平均月給は6ドル(日本円で800)が平均といわれている。一家庭に子供が最低は5人いる生活環境を考えるとその日暮らしということさえも不可能である。


職を求める老婆
アメリカ軍に怒りをぶつけながらもペプシコーラを飲んでいる皮肉な状況の中、生活保護を受け取りに来た老婆アヤさん(75)は「私はまだまだ生きていくつもりです。アメリカがイラクを潰してしまったけれど家族は無事だった。私の乗っている一輪車を押してくれているのは私の孫だ。今日も生活保護をもらえなかった。もらえるとは思ってないけれど毎日ここに孫ときている。アメリカは本当に憎い。フセイン時代のほうがまだまともだった。イラク国民みな同じ思いだ。なぜなら貧しくても生きていくことができたから。」

イラクでは連日アメリカ兵殺害事件が続発している。イラク調停、民主化、自由のためにやってきたアメリカ軍が実はイラク人の殺意の的となっている。生活のままなら無いイラク市民の怒りの衝撃の矛先がアメリカ兵に向けられている。イラク戦争の矛盾が戦後時がたてばたつほど如実に現れてきている。第2次イラク戦争が現実になる日は近いかもしれない。