1月30日
昨夜も銃声が聞こえてきた。一見平和に見えるバグダットだが、水面下で色々な動 きがあるようだ。銃声を聞いても距離があるし大丈夫だと思ってしまっている僕もも う異常なのかもしれない。
今日は板倉さんが午前中忙しいので、ゆっくりの出発。イ ラクに来てからはじめて朝のんびりとした時間を過ごした。明日、ヨルダンに出るた めに GMCの予約をしに行く。
偶然だが、僕たちがアンマンから来たときのドライバーが今日の夜アンマンから来るそうで、同じドライバーでアンマンに行くことができそうだ。やはりドライバーの人 間性は大切だ。到着していきなり法外なチップを要求してくるドライバーもいる。今 回アンマンから来たときのドライバーは若いが良いドライバーだったので、同じドラ イバーに巡り会えて良かった。
GMC屋さんの近くに公園があって子供達が遊んでいたので少し寄っていく。
通訳を連れていたら何事もなかったと思うのだが、幸か不幸か日本人だけで歩いていた ため、子供達が日本人である僕達にいきなり「ファック・ユー」と言ってきた。意味 を理解しないでそんな言葉を使う子供もいるのであまり気にしていなかったが、子供 達が石を投げてきた。とても子供達の写真を撮れる感じではないので早めに立ち去る。
さすがに僕に向かって石を投げる子供の写真を撮るだけの心の余裕はなかった。今の バグダットのイヤな雰囲気が戦後の混乱の一時的なものであってほしいと願うばかり だ。
再びバグダット市内に住む家族に会いに行く。
僕の一番の難点は方向音痴。数日前 に訪れた家族の家が分からなくなってしまった。近所のイラク人に聞きながら家を探 す。
なんとなくいつものパターンで子供がやって来て、「こっちだよー!」と案内し てくれた。子供に続き、家に入らせてもらう。
今日は通訳がいないので、全く身振り 手振りの会話になってしまう。イラクの会話集を持ってきたのに、これまたスーツケー スの中。仕方なく数少ないアラビア語で会話をする。どうも子供が心臓病の手術を受 けたようだ。診断書は英語で書かれているので、何とか内容が理解できる。胸には手 術後をふさぐガーゼが貼ってあり、生々しかった。子供達と会話を楽しみ、殺虫剤を プレゼントし又来る事を約束して家をあとにする。
まだ日暮れまでには時間がありそうだったので、カラダストリートを歩く事にする。
カラダストリートはサドゥンストリートに比べると治安も良いし、人々の顔も穏やか だ。それでも昨年の6月頃に比べると活気が薄れた気がする。
歩いているとちょうど 米軍車両がやってきた。直接カメラを向けると間違いなく怒られると思ったので、中 央分離帯に立ち僕に向かってカメラを向けてもらいレポートをしていた。
米軍車両が すぐ後ろに来ると、予想通りカメラはダメだ!と合図されてしまった。米軍車両は3 台でコンボイを組んでいて、先頭の車両は重機関銃を構えていた。2台目は小銃をもっ て、何故か片手に使い捨てカメラを持っていた。僕がなにげに手を振ると、車の中の 兵隊が愛想良く手を振ってきた。別に報道を嫌う訳ではなく、彼ら自身が自分達に降 りかかる危険を感知するのに精一杯なんだなーと思った。
僕が歩いていると車両だけ ではなく、米軍のヘリコプターが何度も低空で飛び交っていた。かなり大きな音がす るが、バグダット市民は慣れているのか上空を見上げることもしなかった。