1月24日




02:00嵐の中アンマンを出発する。
荷物の事が頭から離れずに、殆ど眠れなかった僕は車に乗り込むと同時に浅い眠りについた。
とりあえず国境を越えるまでは何事もなく眠れるはずだから。

夜が明けはじめた頃に国境に到着する。前回(2003.6)に比べて国境は閑散としていた。外国人の数も少ない。
日本人の出国スタンプはすぐに押してもらえたが、ドライバー(イラク人)のスタンプに時間がかかった。それでもトータルで一時間も待つことなくヨルダンを出国する事ができた。驚いたのはイラクの入国。

前回はごちゃ混ぜになって列を作る車を追い越して、ようやくイミグレーションにたどり着き、米兵がパスポートをチェックしたのだが、今回はイラク人によってチェックがあり、というか殆どノーチェックで国境を通過する事ができた。X線の荷物検査装置も置いてあったが、荷物のチェックは一切なかった。これは僕たちには嬉しいことだが、イラクに武器を持ち込むのは容易になり、より治安を悪化させる事になってしまうだろう。ヨルダンとの国境がこんなんだから、サウジとの国境がいかに酷いかが想像できる。


途中バグダットに向かう道が渋滞していた。理由はわからないが、地元のイラク人はアメリカ軍のせいだとおもっている。ガードレールに腰掛けた青年が「I hate america」という叫んだ。あちこちに要塞のような米軍の駐留地があり、戦後の治安の悪さを象徴していた。

12:50予定よりかなり早くバグダットに到着する事ができた。

フラワーズランドに入る道がクランクになっていて、テロ防止のためか入りにくくなっている。入るときにパスポートをチェックまで要求されるくらい神経質になっていた。フラワーズランドに入る。少し勇気がいる。以前のようにみんなが良い対応をしてくれるか?ドキドキしながら、玄関にはいる。すぐに顔見知りのスタッフが声をかけてきた。
「Oh!MyFriend I miss you so long time」と言ってくれた。


よかった!イラクでは反日感情が高まっていると聞いていたが、少なくても僕の友人達はまだ日本人(僕)に対して良い感情を持っていてくれた。一息ついて、バグダットの中心部に向かう。あちこちの道が封鎖されていて、以前なた10分くらいで行けた道のりが30分近くかかってしまう。

道路脇に米軍の姿が以前と違う。全 ての兵士が銃を構えた状態で警備をしていて、彼らの指は引き金に掛かっている。治安の悪さがひしひしと感じられる。


サドゥンストリートを一本裏に入り、戦前に行った、チャイ屋さんへ行く。
途中、アリババにやられたのかボロボロになった家がいくつもならぶ。その一つの家から一人の男性が手を振る。
なにか怒っているようにみえたので、ゴメン、ゴメンと立ち去ろうとした。すると男性はすごい勢いで家から出てきて僕を止めた。
どうも怒っているのではなく、家を見て行け。と叫んでいるようだ。男性についていくと二階に案内された。二階では一人のお爺さんがたき火で暖をとっていた、家族は10人それだけしかわからなかった。戦後、昨年の6月あたり一度治安がよくなり、バグダットに活気があふれ始めていた。それが、今や見る影もない。幼い子供達が壊された家に住んでいる。予想していたほどの反日感情は見受けられなかったが、何人かに敵意の目で見られた。僕はイラクで始めて体験する敵意だった。僕はまた分からなくなってきた。

サダム政権が崩壊して、この国が得たものはなんだろう。帰りのタクシーのドライバーの言葉が耳に残る。
「日本は俺達の友達さ!アメリカはダメだよ。サダムと同じだよ」