竹島2


竹島・ゆれる地元 <2006年4月28日>

緊張の海・「当事者」の島へ

日本海の上空を薄曇りが覆う。海は凪。この先の海上に韓国海洋警察の警備艇20隻余りが囲む「緊張の海」があるとは思えない。
意外に小さい島だ、と思ったのもつかの間。高速船はぐんぐんと島に近づく。西郷港に到着する頃には大きな島だと考えを改めた。 海上保安庁の海底地形調査船問題で、緊張が日韓間に走った先週。記者は島根県隠岐郡隠岐島町にいた。竹島の位置を正確にイメージできるだろうか。境港(鳥取県)から高速船で2時間弱、竹島にもっとも近い日本が島根県隠岐諸島だ。


竹島はこの隠岐島から北西約160キロにある。

リンク:島根県ホームページ「竹島の位置」

立ち入れない漁場・風化する“記憶”
周囲は1999年の日韓新漁業協定で二国共同操業がうたわれた暫定水域。
だが、日本漁船が実質的に立ち入れない状態が続いている。
リンク:鳥取県ホームページ「日韓漁業協定の内容」

「島根県隠岐郡隠岐の島町竹島官有無番地」。竹島は行政区分上はこの隠岐島町に属する。
19世紀末から隠岐の漁民が入り、海藻やアワビ、サザエなど貝類、繁殖していたニホンアシカの皮革や油脂を加工し生業としてきた。


1905年2月閣議決定を経て県に編入、親族や両親が漁に携わったなど「竹島」が島の生きた歴史の一部となっているのが、ここ隠岐だ。
島の玄関口西郷港に降り立ちさっそく移動。エメラルドグリーンの海岸線が続く。


一向に進展しない領土問題を睨みながら、竹島での漁労の歴史を風化させたくない。
地元にはかねて歴史記念館建設の要望があった。 この日、行政側と地元住民との間にはその建設を含め、竹島に関する第一回目の懇談が予定されていた。
町役場内には4月1日に従来からの「竹島担当」を格上げし「竹島対策係」が新設された。
島の北部、旧五箇村久見地区。
隠岐島でももっとも竹島に近いこの地区からかつて竹島に出漁する船が出ていた。 地区の漁業関係者の祖先は竹島でかつて就業していたと言う。 市町村合併前、竹島は五箇村に属していた。

この日の会合には、まずこの地区で資料発掘の可能性を探りたいという町の意向も働いていた。かつてこの地区にあった久見漁協(現隠岐島漁協)に所属する一部の漁師が竹島の漁業権を地先権として持っていた。 知り合いが竹島から石や貝殻を持って帰ってきたという体験談に多く遭遇する。

整理されぬ資料・散逸の危機。この日集まったのは町議6名に役場関係者、住民代表8名など16名。
住民には親族の遺した竹島での漁業日誌や手製の地図、写真を持ち寄る人もいた。
地元隠岐の島町でも内容や存在が知られていないものが多い。

「あそこの家にはかなりな資料があるはずだが」
「第三者に預けた資料が出てこない」
「放っておくと無くなってしまう。どんなことでもいいから行動しないと」
「次代に遺さないと」

地元として、どんな資料があるのか、これからどんなものが出てくるのか。今までそれぞれに個人が保管していた資料が、いざ取り出そ うとすると所在が不明という事例が多く紹介された。

久見地区には今、強い危機感がある。
竹島との関わりを伝える生の資料が、持ち主の世代交代により各戸で埋もれた状態のまま散逸してしまう恐れがあるのだ。
高齢化が進む地区内で、住民がこの地を本当に「終の栖」とする、次代に向けて活気のある地域にするためには 竹島問題に向かい合うことが避けて通れない、と今後住民らと資料探しにあたる区長の佃達位さんは言う。
「竹島」に関して、地元行政はようやく本腰を入れはじめた段階といえる。
リンク:島根県隠岐島町「竹島について」


温度差ある当事者意識
「地元の教育委主導で竹島の歴史を伝える副読本の編纂を検討中だ」
吉田政司町議会議長は問題への今後の取り組みを加速させる必要を認めた上で、学校教育にこの問題を取り入れたいとしている。竹島の研究成果として、県が主導する島根県竹島問題研究会の資料などがあり、そうした成果を副読本に取り入れることも可能性としてはあるものの、 吉田議長は、基本的に編集にあたっては地元、隠岐島町の教員の意見を参考に行いたいとする。


外交交渉が最高潮に達した22日と翌23日、最大の市街地西郷地区で住民に聞いた。「調査船派遣の構えを見せることで、竹島周辺水域での漁業権確立への姿勢を示した」
外交当局の交渉姿勢は「情けない」
一方で、「わからない」「知らない」 という回答も目立つ。竹島の記憶と危機感が隠岐全体で共有されているかと言えば、答えは否定 的だ。
「五箇のことだから・・・僕らじゃ詳しいことは分からない」
こう語る漁業関係者もいた。この言葉からは当事者意識は伺えない。
同じ漁業関係者でさえ当事者意識が薄く、ましてや商工業関係者が多い西郷地区では同様な考えをもつ住民も少なくは無い。
地元住民でさえ、決して一枚岩ではない現状がある。

24日、澄田島根県知事との会談を終え帰島した松田和久町長は、今回の訪問で 「竹島」は議題に上ったのかという記者の質問に 「(議題に上がったのは)産婦人科の確保。早く医師確保をお願いしたいということ」と、島民が強いられている本土出産問題が今回の主題と明確に否定した。
隠岐の今後をどうするのか。
漁業、農林業、観光産業などの高付加価値化は当然と前置いた上で、町長は「観光による振興が適している島もあるが、それが離島振興の唯一の解ではない。隠岐という国境の島が存続しているということ自体が価値ではないか」と語る。

地元を「見捨てない」
両国間で繰り返し沸騰する「竹島」を横に、日々山積する課題への対処を迫られる地元隠岐島。それが今回目の当たりにした光景だった。

外交と漁業資源交渉を専管する国は、地元を見捨てないという姿勢を改めて示すとともに、中期的には国家間交渉を通し「漁業」でどの ような「実」を山陰の漁業関係者に還元していくのか、その明確な展望を示す必要があるだろう。


一方、記者は今後進む資料収集の成果についても、じっくりと取材を継続していく必要を感じた。
散逸を防ぐための管理・維持態勢をどのように敷くのか。
今まで知られていなかった情報を、どのような手段によって広く知らせていくのか。動き出したばかりの活動に課せられた問いは重い。


日韓交渉が収束した翌々日、隠岐島を離れた。夕日に照らされた日本海を、高速船は「本土」に向け疾走する。船の煤けた窓から赤い光が差し込み、船内を幻想的に照らし出していた。

倉繁祐平(ASIANEWS記者)


補足
地元隠岐島町では竹島返還のために竹島領土権確立隠岐期成同盟会を結成し、毎年国に対して陳情を行っているが、これまでに国からの返答は一度も得られていない。
それどころか政府には竹島問題を一元的に扱う部署や担当者さえいないのが現状なのだ。 そもそも領土を主張する根拠となる資料でさえ、体系的に保存されていない。 島根県議会は「竹島の日」を制定したが、こうした国の無視政策に対する不信感が背景にある。 この問題はマスメディアもこれまで正視してこなかったのが実情だ。 竹島問題は島根県、北方領土は北海道、と言った地域の問題として終わらせるのではなく、国家の問題として正面から取り組む。 こうした姿勢が今になってようやく国民からも求められるようになった。
(ASIANEWS)