二丁拳銃で護る島


シリーズ2「2丁拳銃で島を護れ・与那国島」
日本最西端の島・与那国島。国境の島なのだが実は上空は日本だけのものではないある事情がある。 最西端ゆえに国民の関心が低いこの島には領土と言う観点からは非常に大きな意味を持つ島だ。 しかし国の配慮はきわめて薄い。苦渋の末に決断した町長の考えとは。与那国島が考えた「国境の島の生きる道」を通し日本のプレゼンスを検証する。

日本の国境政策は「ない」


「はっきり申し上げてわが国、国境政策は無いと思うんですよ」
こう語った人はその翌日入院し帰らぬ人となった。 町長として訴えた最後のメッセージ。それは日本の国境政策が全くの丸腰といって言いことを指摘するものだった。

沖縄県与那国町。那覇空港からプロペラ機は随分時間を掛けて真っ青な海を渡る。 石垣島から127キロ。沖縄県与那国島。 人口1700人余りのこの島は黒潮の真ん中に位置し、カジキマグロが上がり美しい海を求めて多くの観光客が訪れる。 ドラマ「Drコトー」の舞台にもなった美しい島だ。 しかし同時にこの島は国境の島でもある。最も近い陸地は台湾、その距離は石垣島よりも近く僅か111キロだ。日本最先端に位置するのが与那国島なのだ。

島の西端にある日本最西端の碑


国境の島。それを最も意識するのはこの島の空港を離発着する航空機のパイロットだろう。 この空港を運行する航空会社のパイロットに聞いてみた。

「どうですか国境を意識しますか?」 「そうですね、やはり毎回プランを出していますし特殊ですから」
間違いなく日本の領土である与那国島なのだが、実は上空には島からわずか100キロ、台湾の防空識別圏が設定されている。

防空識別圏(ADIZ:Air Defense Identification Zone)とは国が設定する防衛上のラインのことで 通常は領空より外側に警戒線の様に設定する。

防空識別圏を越えて進入する航空機は相手国に事前に通報しなくてはならない。 万が一防空識別圏を越えて航空機が進入してきた場合 迎撃戦闘機が出動し、退去を求め、 それでも侵入してくる場合には撃墜もあり得る。 台湾と日本の防空識別圏は東経132度。つまりこ与那国島の上空に設定されているのだ。

2004年の衆議院外務委員会でこの問題がやり取りされている。 議事録  質疑映像

防衛庁大古運用局長(当時)
現在の防空識別圏を与那国島の部分において見直すことにつきましては、 台湾との関係等諸般の事情を考慮しつつ慎重に検討する必要があると思っています。 ただ、御理解いただきたいのは、防空識別圏といいますのは、 基本的に自衛隊の飛行機がそのそばに入るときにいろいろレーダーサイトなりに通報するための線引きの線でございます。 与那国島の上空につきましては、これは領土、領空でございますので、そういうところに、防空の観点から、 進入するような飛行機があればいずれ適切に侵犯の対処をするということは当然だと思っております。

これに対し与那国島の尾辻町長は不安を隠さない。
「他国の防空識別圏がわが国の領空上に設定されているのは 甚だ遺憾だと思っています。なぜ台湾のものがなぜ日本の中にという思いなんですね」

戦争の置き土産


実はこの防空識別圏の設定に日本は関わっていない。現在設定されているラインは、 戦後アメリカが日本を占領下に置いた際に設定したもので、昭和47年の沖縄返還時にそのまま継承されたものなのだ。

「アメリカが台湾を承認していた頃の置き土産だろうという風に考えていますね」
尾辻町長はそう表現した。 既に長い間設定されていること、まだ日常生活には大きな影響は無いため、島民もある意味当たり前の存在だ。 さらに日本と台湾は友好関係にあるため特に国家間の争いとはなっていない。先の衆議院外務委員会で 当時の町村外務大臣の答弁に国のスタンスが示されている。

「防空識別圏の件、大変重要な点でございます。 また、さらに、これは日中関係ということも念頭に置きながら、しかし、さはさりながら、 日本のまさにこれも国益という観点から、しっかりと取り組んでいきたいと思っております」

島民の一人は「与那国島であって上空は台湾のものという感じですよね。それが普通になっちゃってる」と言う。
しかし、その存在を無視できない出来事が起きた。 1996年、台湾初の総統選挙をめぐって中国と台湾の軍事的緊張が高まり中国は台湾近海に弾道ミサイルを撃ち込んだ。 そのうちの一発は与那国島の西およそ60キロの海域に着弾したのだ。天候さえ良ければ肉眼でも確認できる距離である。 台湾は自国の領土だと主張する中国。 この時、防空識別圏も自国のラインだと主張する可能性も在り得なくは無い。 島民もさすがにこの事件の時には不安を隠さなかった。

「台湾と中国が色々こう有事問題で与那国島も非常に被害があるんですよね。そういうことで是非何か対策を立てて欲しい」

日本最西端の場所から台湾を望む。この場所の上空は台湾の防空識別圏。


日本は台湾を国家として認めておらず防空識別圏の問題も公式に話し合うことは困難な状況だ。 日本の領土なのに上空は台湾の防空識別圏という矛盾。しかし島民にとってさらに不安な要素があるのだ。 国境の島なのに護る者がいないという事態だ。

仮に上空から航空機が侵入してきた場合、最も近い自衛隊の基地は500キロもある沖縄本島となる。 僅か100キロあまりの台湾から戦闘機が飛び立った場合打つ手は無い。

与那国島に駐在するのは沖縄県警の警察官2名のみ。 警察官の持つ2丁の拳銃だけがこの島にある武器だ。 勿論警察官が司法権のみで国境を直接護れる訳ではなく与那国島は防人不在という状況にある。

防空識別圏の問題を防衛庁にも陳情した尾辻町長は領海の警備に当たる海上保安庁や自衛隊の部隊を、誘致しようと考えたこともある。

「私はですね、自衛隊容認派でもあります。容認する方なんですけど即自衛隊を誘致するしないは今の町民に問いかけたこともないし ただ国境の町ですから島の活性化にしていく動きはこれは無視できないですからね」

防衛上の目的で自衛隊誘致の声は上げられなくても、島の活性化を考えると無視はできないと語った尾辻町長。 軍隊アレルギーが特に強い沖縄県。「自衛隊反対」の声があるのは事実だ。 しかし尾辻町長の考えは決して「タカ派」的な思考ではない。これには島を取り巻くある問題が根底にある。

それでも島に生きる・島の自立策


昭和22年当時、人口1万2千人いた島の人口は現在およそ1700人あまり。 島には高校が無いため若年層の流出と人口減少に歯止めがかからない。

加えて平成の大合併といわれた一連の市町村合併の流れの中与那国島は単独で行政を存続させる道を選択した。 観光と漁業以外に安定した収入源を、という町民の願いは強く、国境という警備上の問題に加え 地域活性化のためには自衛隊や海上保安庁の誘致をという声もあるのも事実なのだ。

だが政府は中国を刺激するとしてこれまでこの訴えに耳を傾けてこなかった。 尾辻町長は状況を打開するためある申請を国に対して行った。

「私たちが自立を図るためにお願いしているのが、近い台湾との往来はできないものかと。経済特区、国境交流特区というものを今申請しています」(尾辻町長)


与那国島が策定した「自立へのビジョン」


戦前、与那国島は台湾との公益で栄えてきた。 与那国島では国境離島型の港を開港することや旅客船や貨物船の相互の往来、 台湾から与那国島への旅行者の査証免除などを求める国境交流特区の申請を行っている。

住民主体の自治・島おこし・まちづくりとして「自治基本条例」を制定し「美ら島事業」等による産業おこしと人材育成を図ること。 国境交流を通じた地域活性化と人づくりのために「与那国特区」「自由往来」の実現を図ること。 その具体策が台湾の観光客を誘導するために与那国と台湾直行便の開設することであり、国境離島型の港を開港することだ。 さらに情報通信基盤の整備を図ることで情報の過疎化を防ぎ特に若者の定住者を増やすことも視野に入れている。

「竹島や北方四島の例を見るまでもなく、国境の島に自国民が居住・生活することは、国土を保全し、かつ、わが国の領土・領海・経済水域等を平和的に 守る上で極めて重要であり、われわれ与那国町民はその役割を担っている」
与那国島が策定した「自立へのビジョン」にはこの特区申請に賭ける町の認識がそう記されている。

「同じ国民ですから」最後の言葉


「今の国境政策でいきますとね、この小さな島に住む住民がどんどん年間減っていくと思うんですよね」 「防空識別圏は識別圏で、いまの友好は友好だと思っている訳ですね。一ツ橋じゃあ困るなと思っていますね」(尾辻町長)

国の国境政策が明確にならない中、自立の方法を模索する与那国島。 記者は最後にこう問いかけた。
国民に訴えたいこととは何でしょう。
「やっぱり、同じ国民ですからしっかり国土を護る、領土を護るということ、今一生懸命頑張っているわけですから、 この島を護るという方向で協力していただきたいなと思うんですよね。」

そしてこれが私たちの聞いた尾辻町長最後の言葉となった。

「同じ国民なのだから辺境にも目を向けてほしい」というこの言葉は重い。 先の外務委員会で防空識別圏問題を取り上げた自民党の谷本代議士は 「確かに島に対しては離島振興という政策もありますが、日本の外側で外国と接しているこういう島々に対しては、 そこに人が住むということだけで国の守りになるという部分もある。 何らかの国境保全のためのそういった政策というのをしっかり進めるべきではないか」と聞いている。

これに対し町村外務外務大臣は
「どんどん人が減って、そしていずれの日にか人がいなくなるということがないように、与那国島を初め、 広義の安全保障という観点からしっかりとした取り組みをやっていく必要があるだろう」と答弁した。

2002年。 防衛庁は九州沖縄地方の「守護神」として 陸上自衛隊西部方面普通科連隊離島防衛専門の部隊WIRE(ワイヤー)を配置した。 万が一与那国島に「こと」が起こった場合、この部隊が掛け付けるものと思われる。しかし部隊があるのは長崎県。 「即応」には程遠い。

そして与那国島には政治的な配慮は今のところない。 与那国島が提出した特区構想は国から次のような回答が来た。


1. 国境の離島における「開港」要件の緩和等(「国境離島型開港」)
財務省回答:特区として対応不可
2. 国境の離島における短国際航海(与那国−花蓮間60海里)の航行許可に関する要件緩和もしくは地域の実情をふまえた規制適用等
国土交通省回答:特区として対応不可
3. 台湾からの旅行者に対する査証免除
外務省回答:現行の規定で対応可能


国家として国土をどう護り、どのようなスタンスとプレゼンスを示さなくてはならないのか。 これは国民一人ひとりも真剣に考えなくてはならない問題だ。安全はタダでは買えない。


(記事:板倉弘明)