ここで産みたい




お産空白地帯
 東京からおよそ5時間。2両編成のワンマン列車から降りると、もうもうとした熱気に包まれた。待合室横には冷凍ショーケースがうなり声を上げている。「今日も暑いね」と、駅係員が一つ100円のアイスクリームを薦めてくれた。  

長野県松川町は人口1万4千人。天竜川が流れる谷あいに穏やかな田園風景が広がる。基幹産業は果樹生産で知られる農業と、電子部品製造など工業。南アルプスの玄関口、渓流釣りのメッカとして県外から多くの人を集めるこの町が、ある問題に揺れていた。  


「出産受付が抽選制」。「産科医に年俸5520万円を出します」。今年の春以降全国で報じられるようになった、産科医師の不足。医師総数は増えているのに、産婦人科・産科医はこの10年間で8.6%も減少しているのだ(厚生労働省調べ)。「お産難民」という言葉さえささやかれる。その究極にあるのが、たった一人で診療科を切り盛りする「一人医長」と呼ばれる現象だ。時間を選ばないお産の知らせを24時間待ち受ける生活となるため、医師本人をはじめ現場の疲労が加速度的に進むといわれる。  


長野県南部、飯田・下伊那(飯伊)地区。長野県でも全域で産科医療の危機が叫ばれるなか、この地では全国に先駆けてある対応策が取られていた。変わりゆく母親、そして医療者の意識は――。


今年夏、1ヶ月にわたる密着取材を通して問題を検証した。

問題発覚は昨年夏。地域6つの産科医療機関のうち3施設が、出産の取り扱いを休止・一時休止する方針を示したのだ。その結果、この地でのお産の半分にあたるおよそ850件の出産が宙に浮くという緊急事態に発展。中心都市である地元飯田市を中心に、周辺15市町村で結成する南信州広域連合、医師や病院代表、消防ほか関係機関は「産科問題懇談会」を結成し、対応策を協議した。  

お産そのものは医師3名を擁し、設備・スタッフがもっとも整った飯田市立病院で引き受けるが、妊婦検診は出産を休止した各施設で受け持つことで負担を分散する(32週まで。別に市立病院で検診2回を行う)。

医師間の情報共有には妊婦が持ち運ぶ共通カルテを作成、分娩台の増設や休止施設に在籍していた助産師を雇い入れるなど市立病院も産科の充実に努力することでまとまった。信州大学もこの案を評価し、今年2月に医師1名を増援として派遣。周辺の開業医師も必要に応じて手術応援に駆け付ける。「セミオープンシステム」と呼ばれる新しい仕組みだ。  

こうした対応はどこでも取れるわけではない。地域の病院勤務医と開業医師が定期的な会合を通して情報交換を行っていたこと、県内唯一の大学医学部・信州大学と飯田市立病院に人事面での交流があったこと、牧野光朗・飯田市長が自ら懇談会会長を務めるなど行政が強いイニシアチブを取ったことなど、同じ問題に悩む他の地域に比べれば、調整は比較的すばやく進んだといえる。  

しかし、当事者たちの思惑はすれ違いをみせた。北の松川町では、産科医師の退職に伴い年間約300件の分娩を取りやめた下伊那赤十字病院に独自の医師確保を求める運動が巻き起こったのだ。

下伊那赤十字病院での出産経験を持つ母親らを中心に「心あるお産を求める会」(松村道子会長)が結成、短期間のうちに5万筆もの署名を集めることに成功した。  北の上伊那郡などからも多くの妊婦が集まる立地だったことだけが理由ではない。

母子同室制度や母乳育児の推進、助産師の丁寧なケアを重視するなど、これまでの下伊那赤十字病院の取り組みを評価する母親らが、自分の出産した病院でのお産が途絶えてしまうことに強く反発、市立病院受診の際の移動距離や時間、信頼関係の面で出産1か月半前に施設を変えることにも疑問符を投げかけた。医師を増員する余裕が大学にはあるのに、なぜ減ったところに回してくれないのかという感情的なしこりも残る。下伊那赤十字病院でも櫻井道郎院長が各地を回ったものの、医師確保に色よい返事を得ることはできなかった。  

渦中に置かれたのは、下伊那赤十字病院の産婦人科部長、高橋正明医師(52)。同僚医師の退職・転科により、長野県では数少ない「一人医長」(ほか非常勤医1名)体制となった。妊娠32週までの妊婦検診に、婦人科の診察と治療を行う毎日だ。  

一報を受けての高橋医師の決意は「ここでお産は取ることは休止する」と明確だった。

大都市の病院で長く勤務してきた経験から、産科医が2名、小児科医が1名常駐していることが、病院として満たすべき安全の最低ラインだ、という。安全と思われたお産でも、途中で状態が悪化すれば帝王切開という外科手術に移行することになる。

一人では応援に外科医師を呼ぶことになるが、院長自らが当直に立つほど人手不足の下伊那病院で外科ドクターの身が空いているとは限らない。あえて応援を頼めば、病院機能を損なうことになる。産まれた新生児の状態が悪ければ小児科医(現在は隔日で非常勤医が診察)が必要だ。そうした基準が満たされるまでは、医師として安全を保証できない、という。 ところが――。


「まもなく、お産が1件予定されている」。今年5月、病院関係者はそう語った。 実は高橋医師の元では、今も少数だが分娩が行われている。分娩を取りやめた今年4月以降、今年9月時点でその数は4名。リスクを承知した上で、それでも出産したいという妊婦がいるのだ。  

高橋医師は飯田市立病院への集約体制に反対ではない。現状に照らして唯一の選択肢だと考えている。しかし、ここで産みたいという人を機械的に拒むこともできなかった。出産経験があること、前のお産も安産で、今回の経過も良いこと、緊急時は飯田市立病院への搬送に同意すること、など条件を設けた上で、病院の現状を夫や家族に示すとともに妊婦のサインを同意書として取ることにした。

一家で話し合って「それでもいい」となれば、止めることはできない。安全が守れる仕組みが他にあるのに、なぜなのか――高橋医師には、そんな困惑もある。  


「やられてしまうのは先生」

「嬉しいですね」「楽しみです」母親にあるのは、強い期待と喜び、そして、リスクを分かった上で、それでも「ここで産みたい」とする意識の変化だ。ただ、取材することができた3人の母親は、何があろうとこの病院で産みたい、と強い口調で求めるようなタイプには見えない。むしろ、里帰り出産を決めた大沼久美子さん(29)のように、自分が出産することで、万一の際「(補償問題で)やられてしまうのは先生ですよね」、と希望と躊躇いの間で揺れることがほとんどだ。 妊婦と医師が向かい合う。そのなかで「産みたいんだという強い希望」を感じると断り切れないと、そう高橋医師は説明する。


見識が反映される選択だが、事故が起きてしまえば医師個人の責任が問われる可能性は否定できない。大沼さんのお産は昼間、小児科医が出勤する曜日に無事終わった。それは「たまたまなんだよ」と医師は言う。そして、産婦人科医という仕事を「素晴らしい仕事。色々大変なことあるんだけど、(今まで)産科婦人科を続けてきた」とも。  この妥協策。

しかし、お産の継続を望む地元「心あるお産を求める会」はこれを中途半端な対応だと考えていた。一月半に1人出産というペースでは、付近で出産を望む母親の声に十分応えているとはいえない、というのだ。8月22日、下伊那赤十字病院の会議室には松村会長以下、「心あるお産を求める会」メンバーと、病院に勤務する助産師の姿があった。  

「何でここなのかという事なんですよ。助産師やりたければ(他の産院でも)足りないと言ってる。100%出来るんじゃないですか。でもここでできないまま我慢しているんですよね。(応援の)医者が来るまで待って」  

母親らの携えてきたプランは、地域に助産所を開所、医師と連携しながら助産師を主体とした産科医療を展開するというもの。病棟に7名もの助産師(病院全体での資格保有者は9名)が在籍しているのに、従来のように出産に関われない現状に注目しての案だ。

「そばにいてくれるの、助産師さんで産科の先生じゃないんです」。

医師不足の中、助産師が前面に出ることは可能なはずと、繰り返し促した。母親らの気持ちに応えたいが、医師の力もよく知っている助産師。自らが主役となれる医療に飛び出していくのか、このまま高橋医師とともに踏みとどまっていくのか。助産師らは即答をためらった。


 「妊婦さん、ショックだったって」。

8月下旬、飯田市立病院で開かれた助産師間の会合。席上で市立病院の助産師が問いただしたのは、容態の急転に伴って下伊那から飯田へと送られた一人の妊婦の件だった。下伊那で出産できる希望が叶う直前に病院を移らざるを得なくなった女性の動揺は大きかった。

下伊那赤十字病院の助産師には耳の痛い問いかけだった。専門職としてお産にかかわりたい気持ちは否定できず、妊婦に「ここでの出産もありうる」と助産師から示唆するケースがしばしばあったからだ。同日夜、「心あるお産を求める会」は熊谷幸子・赤十字病院師長に電話をかけ、産科問題へのスタンスの違いが明確になったとの理由で、共同で実施を予定していた母親学級への講師派遣を取りやめると通告していた。  

我々が取材を行った2006年夏。  出産の止まった下伊那赤十字病院の助産師らは、助産師としてよりも看護師としての業務に従事することが多くなっていた。産科に割り当てられていたベッドも遊ばせておけず、外科やリハビリ中の患者が入る。頻繁に廊下を行き来するのは、車椅子姿の高齢者だ。  

飯田市立病院を中心とする連携体制は稼働からおよそ半年を経過、市立病院は待ち時間も短縮され、母子同室やお産の近い人への助産師による面談、自由な姿勢での出産の導入など、満足度向上策も採られていた。  お産を続けていきたいという願いは下伊那病院にもあるものの、分娩が止まり、しかも助産師には日々慣れない仕事が押し寄せるなかで、新しい潮流についていくためのトレーニングも思うにまかせない現状がある。

次の出産希望がいつ入るか分からない状況では、医師も助産師も使いなれた旧来通りのスタイルで対応するしかない。下伊那赤十字病院が、実力やノウハウの面でもじりじりと引き離される可能性はある。単にいなくなった医師を補充すれば元通り100%の機能を発揮できるとは限らないのだ。  

いま、水面下では産科医療の舵取りに大きな地殻変動が起こっている。産科医不足とそれに伴う医療水準の低下を危惧する国は、分散して配置された「一人医長」が共倒れする現状の改善に乗り出したのだ。

厚生労働省・総務省・文部科学省は中核となる病院へのヒト・モノ・カネの「集約化・重点化」の必要性について主体的に検討、重点化を行う病院、協力病院をピックアップするよう、昨年末各都道府県に向け通知したのだ※。地元が自主的に立ち上がった長野県の事例は、図らずもこの構想を先取りするものとなった。とすれば、この地域が直面した課題は、いずれ全国各地に波及することが十分に予想されるのだ。


※「小児科・産科における医療資源の集約化・重点化の推進について」 (平成17年12月22日付医政発第1222007号・雇児発1222007第号・総財経第422号・17文科高第642号/厚生労働省医政局長、同雇用均等・児童家庭局長、総務省自治財政局長、文部科学省高等教育局長連名通知)


「お産難民を作ってはならない」

中核病院=緊急時に医師が妊婦を安心して送ることのできる病院が機能不全を起こせば、結果として周囲の医療機関も総倒れとなり、すべてを失うことになる。集約化・重点化は不可避だ――産科医不足に決定打の見いだせないなか、こうした医師側のシナリオには強い説得力がある。

他方、「たとえ短時間でも、車での移動は不安」「できれば地元で」といった、母親らの産科医療の「質」「安心」への願いは、個々の心情がからむだけに、正確な聞き取りや政策への落とし込みには困難が予想される。 医師不足という現実を見失うべきではない。ただ、母親たちが第一の当事者であることは疑いようのない事実だ。そうである以上、医療者や行政と対等なポジションで対話する必要がある。

各都道府県、地方行政での検討作業は平成20年に向け今後急ピッチで進む。この点の考慮はぎりぎりまで残さねばならないだろう。
倉繁祐平(ASIANEWS記者)