ミャンマー邦人記者死亡


ミャンマー日本人ジャーナリスト狙撃事件

このページの記事はASIANEWSの記者がウエブ向けに書き下ろしています。

ミャンマーで邦人カメラマン死亡
“最前線”を目指して(2007年9月28日)

APF通信社・長井健司記者(50)がミャンマーで取材中銃撃され死亡した。 同じ報道現場で仕事をする者として心からの冥福を祈りたい。

今ミャンマーからの映像は極めて限られたものとなっている。 軍政権下では報道機関への監視は極めて厳しく、現地から映像を伝送する手段が極めて限られているからだ。
長井記者はバンコクで取材中、転進しミャンマーに入ったと伝えられている。 同じジャーナリストであれば迷わずそうしたであろう。

至近距離で取材をしていたことを考えると、長井記者は流れ弾には注意を払っていたもののよもや治安部隊に至近距離から 意図的に撃たれる事は予測していなかったのではないだろうか。

我々は紛争地帯に取材入った際、常に「敵はどこにいるのか」に最大限の注意を払う。 それが市民の中に潜んでいるのか、流れ弾なのか、いずれにしても「想定」をする。

長井さんにとって今回の事件は「想定外」だったのか。 いかなる「事態」も想定した上での取材だったことは間違いあるまい。 危険を顧みず最前線で取材をするジャーナリストがまた一人逝った。
そしてそのジャーナリストはまたもや「大手」メディアではなく「一」ジャーナリストだったのだ。


放送局と我々の関係(10月2日追記)
イラク戦争後、フリージャーナリストの死亡が相次いだ。その度に我々の様な「報道プロダクション」にも問い合わせが相次ぐ。

この機会に私たち「報道プロダクション」と放送局との関係について述べておきたい。
ご存知のようにテレビ番組は私達のような“制作会社”が番組制作を放送局から受注し、制作を行う。テレビ番組の最後に「制作協力」として社名が表示されるが、それが受注制作社である。
一方で、外注を行わず放送局が自社制作している番組もある。それがニュース番組だ。放送局の報道局というセクションが主体となり、制作を行っている。業界用語でいう「完パケ(プロ)発注」を行っていないことから“自社製作”とされる。完パケ発注とは番組の全てを発注することだが、実は報道番組であっても“外注”は行われている。

その一つが人材の外注。放送局に常駐する制作スタッフを人材派遣会社や制作会社が派遣する形で行われるもの。スタッフの名刺に「所属」として制作会社名などが記されていることで分かる。報道番組の場合、一般的に放送局社員の占める割合は1割から2割だ。残りは全てこうした派遣スタッフで構成されている。

もう一つが「コーナー委託契約」と呼ばれるもので、ニュース番組の「特集」などをVTR単位で外注するものだ。
私たちASIANEWSは特集VTRを主として制作している。ドキュメンタリー番組などは完パケで受注し、制作を行っているがニュース番組は全て「コーナー委託契約」だ。いわば完パケ番組の10分版、15分版と思っていただいても良い。いずれにせよ放送局の発注があって初めて成立し、私たちは取材を開始する。

それではイラク戦争などの場合にも発注があったのか?と聞かれるが実は海外の戦争・紛争では「正式発注」は行われない。そこにはメディアではなく、「企業の論理」が優先される。つまり契約書は交わされず、正式な発注は行われない。外注先のクルーに事故が発生した場合どこがどのような形で責任を負うのか、と言う点が定まっていないからだ。

完パケ制作にせよ、「コーナー委託契約」にせよ我々は放送局と契約書を交わし、押印した上で正式受注となる。契約書には著作権をはじめ、権利の帰属や製作中の賠償責任などが明記されている。しかし戦争や紛争などリスクが予測される番組でこうした条項を明文化し、書類として交わした例は少なくとも当社では前例がない。

ジャーナリストの死亡事故が発生した場合、放送局は「個別の契約内容については公表していない」と発表するが、そもそも正式契約がない。

今回長井さんがどのような契約スタイルでミャンマーに向かっていたのかは分からない。予測も控える。
ただ我々がイラク戦争で放送局にリポートを送った際には、リポート一本辺りいくら、という「売り方」をしていた。

私たちASIANEWSは大手メディアと競合しようとは考えていない。最新機材と機動力、速報性で我々ニュースプロダクションと大手メディアでは全く勝負にならないからだ。しかし共存は可能だと考える。
いざ紛争が起こった際、第一報は大手メディアの出番だろう。しかしその内、日本のメディアは現場から撤退を開始する。そこからが我々の出番だ。
やがて紛争は落ち着きを取り戻し、「総括」が日本の放送局のスタジオで行われる。ここからも我々の出番だ。「その後」を伝える。
最前線で取材したものに与えられる権利と義務とは、「ニュースを忘れさせないこと」だからだ。

日々発生するニュースに追われていくのはある意味使命である。当然放送局の人員は限られてくる。我々のようなニュースプロダクションはそのような時に共存できると考える。アフガン戦争以降、役割分担が行われる様になってきたおり、フリージャーナリストやニュースプロダクションの役割が注目され始めた。


対等な立場・権利とは
事故が起こる度に放送局とジャーナリストの関係が問われる。放送局と取材者は対等である、というコメントも最近耳にするようになった。では対等とは何か?
もし我々に対等な権利が与えられるのであれば、私は「放送枠」が欲しい。折角命をかけて取材した成果をなんとかして世の中に送り届けたい。イラクで亡くなった橋田さんをはじめ、もう何人もジャーナリストが戦場で消えた。しかしメディアは「その後」を伝えているのか?命をかけて取材した素材は活きているのか。亡くなったジャーナリストは、自分が死んだことが伝わるよりも、自分が取材したものを伝えたかったはずだ。自分が死んだことが後世に残るよりも、なぜ命をかけてまで取材したのか、が後世に伝わる事を望んだはずだ。

番組制作会社、ニュースプロダクション、フリージャーナリスト。それぞれ所属する形は様々だが、全てのスタッフに共通するのは、「最前線の現場にいたい」という使命感だと思う。それは放送局、新聞社、通信社をはじめとする大手メディアの記者やカメラマンにとっても同じはずだ。

長井さんをはじめ、殉職した記者たちが残した「現場へのこだわり」を私たちはそれぞれの立場で形として世の中に伝えていかなければならないと思う。

ASIANEWS 代表 板倉弘明