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中東情勢現状解説 【解説・ASIANEWS板倉弘明】2006年7月23日更新
隣り合った四国と岐阜県が壮絶な「戦」を繰り広げている。もちろんこれはイスラエルとレバノンの国土面積の比喩だ。 地続きのお隣さん同士がどうしてこれだけの争いとなったのか?
今回のクライシス(危機)の発端とは7月12日にシーア派武装組織ヒズボラがイスラエル北部でイスラエル軍兵士2人を拘束したことがきっかけになっている。 これに対しイスラエル軍は兵士を奪還するため、レバノンを空爆。ヒズボラがこれに応戦し、泥沼化という状況になっているのだ。それではヒズボラとは一体何者なのか?
「ヒズボラ」(wikipadia)
1982年に結成されたレバノンで活動するイスラム教シーア派の武装組織のことだ。「非イスラム的影響」を除くことが目的、 とされているため当然アメリカからは「テロ組織」として堂々と認定されている。故に親アメリカ国家であるイスラエルとは犬猿どころか宿敵とも言えるのである。 武器の供給や資金をイランやシリアが支援していると見られている。
<これまでの主な「テロ」行為>
1983年ベイルートの米海兵隊兵舎への自爆特攻、
1984年ベイルートのアメリカ大使館自爆テロ、
1992年アルゼンチンのイスラエル大使館攻撃テロ。
そして今回のイスラエル軍兵士拉致。
ただの「テロ組織」ではなく政治部門と軍事部門が分離されていて軍事部門は数千人のメンバーがいると思われる。また政治部門には国会議員もおりレバノン議会の正式な議員となっている。
新聞各紙の見出しには
▼とにかく暴力停止を - 高知新聞 (2006年7月16日) ▼流血停止へ日本も全力を - 信濃毎日新聞 (2006年7月14日) ▼報復の連鎖を断ち切れ - 琉球新報 (2006年7月14日) ▼辛抱強く和平の道探れ - 中国新聞 (2006年4月2日)
と、並ぶがそんな「平和側の理屈」だけで片付くような中途半端なエリアではない。
隣り合った向こうは言語はイスラエル語でユダヤ民族、こちらはアラビア語をしゃべるアラブ人。 イスラエルはおよそ8割近くがイスラム教だがレバノンはキリスト教など18もの宗教があり議会もキリスト教とイスラム教の議席がそれぞれ半数なのだ。 イスラエルの背後にはアメリカがおり、レバノンはシリアと緊密な関係があるがフランスとも関係が深い。
だがこれはそうした言語や宗教の違いだけが生み出した対立ではない。 そもそもイスラエルとレバノンという二つの国家間の争いではないのである。これはイスラエル対ヒズボラの戦いであり、ヒズボラの背後にはイラン・シリアがいるのだ。 ヒズボラは前述したように非イスラム的影響(=イスラエル)を排除してこの地にイスラム国家を築くことが目的である。 宗教的にはイスラム教シーア派なのだがイランやシリアも同じ宗教というつながりがある。ヒズボラがレバノンの国軍でもないのにイスラエルという国家と戦えるのには この二つの国の支援があるからなのだ。
さて、ヒズボラが今回イスラエルの兵士を拘束したのには彼らの言うところの「訳」があるのだ。 ヒズボラのナスララ党首は「イスラエルがアラブ・パレスチナ囚人の釈放に応じない限り全世界を敵に回しても拉致したイスラエル兵2人を釈放しない」とその「訳」を語っている。 国際社会が俄かにこの問題の介入のため動きを活発化させているが、それもイラン・シリアを巻き込んだ中東戦争になるのを恐れているからこそなのだ。 しかし中東に親米国家を持つことで産まれる軍事的経済的恩恵を確保したい大国・アメリカはイスラエルを庇護しており、問題がすぐに決着するとはいえない状況だ。
2名の兵士を拘束されたイスラエル軍はレバノン南部を猛攻し、レバノン側には23日現在350人の死者が出ており、被災者は50万人(国連発表)とされている。 一方でイスラエル側にも30名の死者が出ている。
日本時間23日早朝、渡部陽一からイスラエルに攻撃された一般市民が住むアパートの写真が共に伝送されてきた。 と同時に、22日付のニューヨーク・タイムズは、イスラエルがアメリカに精密誘導爆弾GBU-28の早期提供を要請し、アメリカも作業を加速化させたと報じている。 GBU-28とは通称バンカーバスター。アフガン戦争やイラク戦争でも使用された破壊力の大きい精密誘導爆弾だ。 これを使ってイスラエルはヒズボラの地下司令部やミサイル基地などを攻撃するという。
アメリカとしては“この際”、テロ組織として指名されたヒズボラを徹底的に叩いておきたいのだろう。 しかしいくら「精密兵器」を使用したところで市民の犠牲が免れるものではないことは幾多もの戦争が証明済みだ。 対話を通じてこの危機を制したいEUと、力でねじ伏せたいアメリカ。鳴かぬなら殺してしまえホトトギス、ではないが 大国の思惑の中で翻弄される市民の姿はどこの戦場にもある。
しかし今回もこの現場に日本の大手マスメディアの姿を見つけることは残念ながらできない。 今回も日本メディアは外務省から発出された邦人退避勧告に従い、レバノン国内からは報道をしていない模様だ。 “現場”取材する渡部陽一の聞いた「生」の市民の声をぜひ読んでほしい。<ASIANEWS>
<地図>外務省ウエブサイトから:(左)イスラエル(右)レバノン
「潜入者」と「脱出者」2006年7月19日
19日にベイルートに入った。ヨルダンのアンマンから乗り合いタクシーでシリアのダマスカスへ国境手続きあわせて3時間、その後シリアのタクシーに乗り換えレバノン国境へ1時間、レバノン国境では避難民が退去して脱出を図っていて、数キロにわたる行列が連なっている。
逆にシリアからベイルートに入るカスタムはがらがらで非常にスムーズに超えることができた。レバノン側に入るとすでに戦争バブルがおきていて100kmの道のり平時20ドルもしないところを300ドルと吹っかけてくる。最終的に80ドルで手を打ちベイルートに入った。
ベイルート市内は爆破で廃墟となっているエリアと依然ベイルートにとどまる人たちが集まるエリアに分断されている。特にイスラム教武装組織ヒズボラの本部があるダヒー地区は廃墟そのもので私服のヒズボラ兵士が原付バイクとトランシーバーを持って不審者一掃作戦を展開している。実際に私自身もこのエリアにもぐりこもうとしたときに私服兵士に捕まってしまった。ベイルート中心部は電気、水道、ガス、インフラはまだまだ余裕がある状態だ。私が拠点としているホテルも生活に不便はない。ただ毎晩爆撃の音で部屋が震えるのが気になるところである。 (7月21日更新)
7月19日の写真
ベイルート市内の様子。郊外から見ると人気がなくゴーストタウンのようだ。
ベイルート港からキプロス島に避難する人々。7割は外国人が占めていた。
「市民生活」と「監視」2006年7月20日
ベイルート取材が続く。報道でのベイルートの様子はまさに戦場、迫撃砲が打ち込まれ続け、市民は命からがら逃げ出している、こうしたイメージを誰しも持っているであろう。 しかしながら戦時下でありながら、この地にはまだまだ数十万人の市民が残り、日々の生活を送っている。 それゆえにインフラ設備はほぼ完璧といえるほどに保たれ、市場では中東のどこでも見られる野菜や果物が所狭しと置かれている。
ベイルート中心部にあるハムラー地区ではおしゃれなオープンカフェやレストラン、インターネットカフェが平常通り営業されていて、日中は人通りも激しいほどである。 私が宿泊しているハムラー地区のホテルエンバシーは一泊35ドル、14畳ほどの広さで冷蔵庫、エアコン、バス、トイレ、ツインベッド、 毎日のハウスキーパーが付くサービス満点の快適ホテルである。宿泊客はほとんどいない状態であるが、取材からあがってきたときは心底ほっとする空間になっている。
唯一普段と違うのは空爆が毎晩続く中で爆音の振動で部屋が揺れること、そして街中で取材中に懐疑心をもった市民たちが自分をスパイ容疑でヒズボラや警察に情報提供していることがある。 特にベイルート東部にあるダーフィー地区やハール・タハリーク地区に取材に入ったときは、かなりの注意が必要である。
この地区はヒズボラの総本部事務所があり町全体がヒズボラ党員で占められている。 外国人プレスがこのエリアに入るとどこからともなくトランシーバーをもち原付バイクに乗った私服ヒズボラ党員が集まってきて、取材の中止を強制される。
町をバリケードのように党員たちが徘徊していて、不審者が入ると即通報という流れになっている。実際に自分もヒズボラ党員に何度も捕まり、取材を中止させられた。 まだましなのはそのまま拉致されないことぐらいだろう。市場においても撮影していると市民がNO!NO!と雄たけびを上げながら集まってきてカメラが奪われそうになる。 撮影できる場所とできない場所が如実に分けられている。
ベイルートに入ってからは取材で走り回り食事をする時間がなかなか取れない。 今日一日はホッブスと呼ばれる直径30cmほどの丸く平べったいクレープのようなパンにハムとチーズをはさんだものを食した。
ベイルートはもともと中東のパリと呼ばれるほどの近代国家で、どこのカフェでもベイルート市民は熱く語っていた。いかに厳しい状況でも徹底的にイスラエルと戦うと。この先交戦が激化することは避けられそうにない。 やはり現実は厳しいものであった。どこのカフェでもベイルート市民は熱く語っていた。いかに厳しい状況でも徹底的にイスラエルと戦うと。この先交戦が激化することは避けられそうにない。(7月22日配信)
「ピンポイント攻撃の産物」2006年7月21日
ヒズボラ本部のあるハール・タハリークに入った。 昨日に一度撮影にトライしたのであるが見事にヒズボラ私服党員に捕まってしまったので、今日は移動に関してヒズボラ党員の運転手を手っ取り早く雇い現地に向かった。 運転手がヒズボラ関係者であるとカメラを三台持ち歩いていても、党員の検査をパスすることができる。 撮影中も散々原付で党員がちょっかいを出してくるのであるが、運転手が一言挨拶するとウェルカムということになる。
自分が宿泊するベイルートのハムラー地区の繁華街からわずか車で5分ほどのエリアにあってこれほど街中が破壊しつくされているのかと驚いた。 イスラエルがピンポイントで爆撃を行っているということは聞いていたが、ものの見事にヒズボラ地区が吹き飛ばされていた。
誤爆というものも、もちろん続発していて、その要因としてこちらの建築様式が挙げられる。 10階建てほどのレンガ造りのビルがわずか道幅3mほどの間隔をあけただけで密集していて、一発の砲撃であたり一面が一気に吹き飛んでしまう造りになっている。 それにしても爆撃のすさまじさは強烈である。いったいこの先どれだけの市民がなくなってしまうのか。その後ハリリ大学病院に撮影に入る。 さすが中東の近代国家レバノンを見せつけられた。病院の規模といい、医療機器といい最新の設備で日本の医療設備と比較しても決して引けをとらない。 それゆえに続々と砲撃の被害者が運び込まれ、数十分単位でオペレーションが行われていた。 患者の被害状態の特徴は吹き飛んだ窓ガラスの破片が全身数十箇所にわたり突き刺さり、意識をそのまま失った状態で運び込まれてきていた。
取材中は運転手兼通訳のガイドと一日中生活を共にするので自然に仲良くなりお互いの身内話に明け暮れる。 僕のガイドは30歳で独身、見た目はタフガイ、好きなものは異常に甘くしたカプチーノ。将来の目標は新車のBMWを購入し、ガールフレンドとビーチをデートすることだといっていた。 非常に気さくでありながら勇猛果敢で少々の危険取材は率先してナビゲートしてくれる。ちなみにガイドに支払う一日のギャランティーは40ドル。 物価の高いベイルートと言えど、かなり危険な取材を運転手としてがんばっている姿はこの金額で納得せざる得ない。この先もガイドと生活を共にすることになる。楽しみだ。(7月22日配信)
7月21日の写真
1 ベイルートハリリ大学病院に運び込まれた男性は呼吸困難で痙攣を引き起こしていた。
2 爆撃で妹を亡くした女性は泣き叫び、イスラエルに罵詈雑言をあびせていた。
3 ハールタハリーク地区は爆撃で町が吹き飛んでいた。人の気配はない。
4 爆撃でガラスの破片を全身に浴びた男性は命の危険に直面していた。
5 ヒズボラ拠点の町は爆撃の集中砲火を受け廃墟となっていた。
6 わずか6歳の少女は右のほほにガラスの破片が突き刺さった。右目から口元までの一直線に縫い合わされていた。
「陸上部隊侵攻」2006年7月22日
イスラエル陸上部隊がレバノン南部の国境を越えて侵攻したと速報が入った。 ベイルート内でも話題はいよいよ直接対決かと戦火の気運が高まっている。現地メディアもテレビは24時間通しでレバノン最新情勢を伝えている。 さらに定点カメラを丘の上に設置して、やはり24時間通しで爆撃映像を抑えようとダーフィー地区に絞って映像ライブを流しっぱなしにしている。
22日の昼ごろベイルート南部の丘陵地帯にあるテレコムセンターが爆撃された。丁度ベイルートから車で南に下っている最中、前方に黒煙が黙々とあがっている。 運転手はこれで携帯電話も使えなくなるのかなとしきりに自分の携帯をいじっていた。取材の合間をぬってベイルートにある外国プレス陣の中継ポイントに足を運んだ。
APが管轄するその施設に入ると、顔なじみの映像伝送スタッフがあいもかわらず激しく働いていた。 イラクのバグダッドにあるパレスティナホテルにあったEUROVISION(EBU)がそのままベイルートで伝送拠点をつくっていた。 久しぶりの再会でやはりベイルートにやってきたかということで話に華が咲く。 伝送のときはいつでも連絡を入れろとメッセージを受けとり、ロシア取材チームのライブ放送をしばらく眺めていた。
自分の宿泊するホテルにあるロビーでは備え付けられたテレビに近所の人たちが集まり、EBUが伝送するテレコムセンター爆撃ライブ映像を眺めている。 ホテルの管理人は語る。「かつての中東戦争のときはベイルートまでイスラエル地上部隊がやってきた。 仮に今回もべイルート包囲となるならヒズボラを頼りにするしかないだろう。子供たちはサウジアラビアにいるから安心だ。 自分はホテルをほっておくわけにはいかない。何があろうとベイルートにとどまるつもりだ」。 取材中何かとお世話になるこの男性、車で共に移動中身の上話をしてくれた。
「私はもともと某コンピューター大手企業のスタッフとしてフランスパリで生活していた。 25年間勤めあげ、その資金を元手に、友人と海老の輸入業者を立ち上げた。非常に順調であったのであるが、最終的にパートナーにすべての金を持ち逃げされ、 ブラジルに逃亡されてしまった。当時はショックで立ち直れなかったが、今はこれも人生であると割り切ってこのホテルで働いている。 人生とは流されるままにしかならないものだよ。アッラーの神のみぞ知るということだ。」恐ろしい話に身震いした。(7月23日配信)
7月22日の写真
7 ベイルート空港脇にある工場への被弾ポイント。直径30m、深さ15mもある。
8 シュトゥーラ地区の住宅街は爆撃ですべてが吹っ飛び、新地になってしまっていた。
9 迫撃砲の破片を拾い集める男性。爆撃で娘の足は切断された。
10 ベイルートから南部の都市スーラに続く幹線道が爆破された。乗り合いタクシーがそのまま川底に転落した。
11 シュトゥーラ地区の民家の爆破跡地には子供のと思われるぬいぐるみが転がっていた。
12一般集合住宅のアパートも砲撃を直接受けていた。
13 爆破エリアをパトロールするレバノン兵士たち。平均年齢は20歳ほどだ。
「空爆」2006年7月23日
ベイルートへの空爆が続く。昨晩、午前2時30分ごろ、激しい爆音で目を覚ました。 自分の滞在するホテルから近くのダーフィー地区に連続して砲撃が炸裂した。 日があけたと同時に現場に直行すると、ヒズボラ兵士たちが物々しい形相でバリケードを張っている。
完全武装した兵士たちが撮影を遮断してくるも、ヒズボラ広報を通じて爆破現場に入ることができた。 まだ黒煙が黙々とあがっていて、爆撃の衝撃波が直径20m、深さ15mほど地面をえぐりとっている。 自宅を破壊された市民たちが自分の家の安否を確認するために恐る恐る戻ってくる。瓦礫の山となった自宅を見た女性は泣き崩れる。 せめて家に残された写真や家具だけでも運び出そうと散乱した部屋の中を歩き回る。
この空爆でますます廃墟となったダーフィー地区の中で、兵士たちがヒズボラの讃歌を巨大スピーカから流していた。 日本の軍艦マーチのようなテンポの曲が人の気配のないこの地区において大音量で流されている光景は異常な不気味さを感じさせた。 まさに戦場の雰囲気だ。
丁度ダーフィー地区での撮影中に国連緊急救援部隊の代表ジャン・エグランド氏が現場視察に訪れた。 破壊しつくされた町並みを見て「これはまさに人道的に問題がある攻撃である」とコメントを述べた。
被害者たちが自分たちの置かれた惨状を訴えるも足早に現場を立ち去っていった。明日はライス国務長官が現場入りするという情報が飛びかっている。 ベイルートの廃墟をみていかなる感想を漏らすのか。
レバノン、ヒズボラによる二人のイスラエル兵拉致がこのような惨劇をもたらしている現実はまさにイスラエルVSイスラム中東諸国の憎悪感を如実にあらわしている。 レバノンの戦火がこの先シリアにも飛び火することが考えられる。こうなると中東地域はかつての中東戦争の総括戦に突入することになるであろう。 レバノン南部にすでにイスラエル軍が少数ながらも侵攻してきている。ベイルート陥落を目指して北上してくることになるのか。現場からその状況を見続けたい。 (7月24日配信)
7月23日の写真
14 国連緊急救済部隊の一行が爆破現場を視察に訪れた。これは人道的問題であると述べた。
15ダーフィー地区の砲撃着弾ポイントは直径20m深さ15mに抉り取られていた。
16爆撃で自宅を失った女性は泣きくずれた。
17爆破現場から逃げだす男性。イスラエル攻撃が再度くるということで避難する。
18黒煙があがる爆撃ポイント。まだ爆撃による熱気が伝わってくる。
「戦場の現実」2006年7月24日
南レバノン、サイダという町に入った。昨日、市内中心部にあるモスクが爆破された。 それに伴って周辺の民家も爆撃を受けた。 もともとこのサイダはイスラム教スンニ派が多い地域で今回のイスラエルのヒズボラ掃討作戦には関知していないエリアのはずであった。 ヒズボラがイスラム教シーア派でイランやシリアとの関係を深めているなかで、スンニは一歩引いて行動していた。
しかしイスラエル、レバノン国境に点在するヒズボラ部隊が攻撃から一歩引きながら北上し、このサイダに潜伏しているという情報が飛び交っていた。 それゆえにこのモスクが爆撃され木っ端微塵となった。現場に行けば行くほど、いかに一般市民被害が拡大しているか、確認できる。 家を失った人たちがあまりにも多すぎて、レバノン攻撃の大儀が何なのか分からなくなってきている。サイダの病院には次々と被害者が運び込まれてきていた。
右目にガラスが突き刺さり。顔にクロスを描くように縫合手術を受けた少年が横たわっていた。目はうつろで声を発することもできない。 母親と弟がつきそい看病していた。年頃女性は右ほほを鎌でえぐられたようになっていた。爆破現場以上に病院の患者取材は苦しいものがある。
昨日も爆撃が続いた中で、日の出と共にベイルートの海岸線の撮影に入った。沖合いにはアメリカの軍艦が停泊してにらみを利かせている。 防波堤ではレバノン男性がのんびりと釣りをしたり健康維持のためにランニングしている姿が目立った。戦争と日常が見事に調和していてこれが現実なのだと感じ入った。 (7月25日配信)
7月24日の写真
19 ガラスの破片を右目に受けた少年はうつろな瞳でこちらを見つめていた。
20 サイダにあるモスクがイスラエルによって爆破された。隣の民家にも被害は拡大した。
21 サイダにある電力会社は爆撃を受け黒煙を上げたていた。
「レバノン市民のヒズボラ支持度とは」2006年7月25日
ベイルート市内での家屋爆破被害者のキャンプ地に入った。 市内の広大な広さの公園の中にマットレスと衣類、お茶のセットを携えて大きな家族は20人ぐらい、少なくて3人ほどの群集が群がっている。 日中は気温32度、我先に木陰の場所の取り合いといった状態である。
ここにはもちろんけが人はおらず、五体満足、無事に生き延びた人たちだけがこのキャンプで生活している。 キャンプの経営は現地NGOスタッフによるもので、飲料水、食料、簡単なブランケットなどを提供している。 すでにこのキャンプ地で一週間近く生活をしている人たちがほとんどで、この先戻れるものなら爆撃を受けた自宅に戻りたいといっていた。
いわゆる屋外で慢性的生活物資の不足したキャンプを張っている彼らなのであるが、 本日25日、キャンプ地内で一人のリーダーと思われる男性がマイク片手に反イスラエルデモに繰り出そうと号令をかけた。 するとごそごそと寝床から老若男女這い出してきて我れ先にとデモ行進に参加し始めた。 怒りからくる力なのか、怒声を上げながらダウンダウンイスラエル、ダウンダウンアメリカと雄たけびを上げながらベイルートの政府中央官庁前まで練り歩く。
興奮のあまり泣き出す人もいれば、1歳ほどの赤子を抱いて叫ぶ女性もいる。 集まった人数は1500人ほど、怒りと興奮の坩堝と貸なり、レバノン兵士たちが警備に割り込んできた。 官庁前ではレバノン紛争で犠牲になった人たちの見るに耐えない写真がでかでかと掲げられ、 戦争反対を叫ぶよりもうイスラエルを叩き潰せというヒズボラ支持派が大多数を占めていた。 実際今のベイルートでヒズボラと関係していない人を探すことのほうが難しい。
それだけ最後の切り札であるヒズボラに市民の怒りの報復を託したいという感情が日増しに高まっている。 現地時間16時45分、連続して3発の爆音が響きわたり、さらに数分後連続爆発が続き、 わずか15分ほどでベイルートのダーヒー地区で数十発の爆撃が落とされた。イスラエルの侵攻が具体的な形となってきた。 (7月26日配信)
7月25日の写真
22 避難民キャンプ地のリーダーが叫び、市民はデモに殺到した。
23 自宅を失った女性は泣きながら、ダウンイスラエルと叫んだ。
24 爆撃で息子を失った女性はイスラエルへの復讐を訴えた。
25 市民がベイルート官庁前でデモを繰り広げ、警察、メディア、デモ隊が入り乱れた。
「400人が死んだ」「1600人が負傷」「70万人が家を失った」「ブッシュよ、精密爆弾をありがとう!」と書かれている。
26 信号機の上によじ登った男性はダウンダウンイスラエルと叫びレバノン国旗を振り回した。
「避難所は学生寮」2006年7月26日
ベイルート大学が所有する学生寮に爆撃の被災者が寝床を求めて殺到している。 海岸線の高級ホテル通りの一角にあるビルの各階には一部屋6家族から9家族が共同生活を送っていた。 爆撃が激しかったヒズボラ拠点のダーフィー地区から逃れてきた人たちがほとんどで、家財道具を持ち出すことなく逃げ出してきたという。
さすが高級エリアの大学寮だけあり、各階の部屋は広く、キッチンやトイレ、風呂場も備え付けられていた。 電気、プロパンガス、ポンプで引き上げる水道も備え付けられていて、一見すべてが普通に見える。 しかし部屋の中に家具や生活用品はなく、床にゴザがしかれているだけの屋内難民キャンプ地といった様相である。
この部屋で生活する男性は 「とにかく家族無事に逃げられた。家は吹き飛んでしまったが、家族みなでこうして大学寮で生活できていることだけにも感謝しなければならない。 近隣の人たちは子供たちを亡くした人たちばかりである。今回の攻撃でどれほどの子供たちが殺されているのか、許されることではない。」
大学寮には武装セキュリティーがゲートを守り、部外者は入れないようになっている。 取材中、被害者同士のトラブルが発生した。レバノン南部から逃れてきた家族とベイルート市内から逃れてきた家族が子供のことで激しく罵り合っていた。 警察が駆けつけるほどの殴り合いのいざこざとなり、お互いの難民生活のストレス、怒りが沸点を超えてしまっていた。 南ベイルート、ベントジュベイルでヒズボラとイスラエル兵が激しくぶつかっている。
ヒズボラの攻撃方法が興味を引いた。かつてのベトナム戦争時のべトコンのように地中に穴を掘って侵攻して来た相手の裏側に飛び出し挟み撃ちにするというものだ。 レバノン市民はヒズボラの戦績を耳に狂喜していた。ますます戦火は拡大する一方だ。終わりが見えない。 (7月27日配信)
7月26日の写真
27 ヒズボラの指導者、ハッサン・ナスララ師の写真は町中にあふれている。
28 町が破壊しつくされた写真を呆然と見る少年。
29 難民キャンプ地で配給の飲料水を飲む子供。
30 地下から水をくみ上げる水道ポンプ。数十家族の生活水をくみ上げる。
「脱出」2006年7月27日
ベイルートに滞在するカナダ国籍を持った人たち2000人が出国した。 早朝からベイルート港のゲートに巨大なスーツケースを抱えた人たちが殺到していた。 キプロスからカナダ・モントリオール、トロントに向かうという。 カナダ大使館、カナダ軍がセキュリティーにつきパスポート検査を行っていった。
爆撃被害者と違ってカナダに向かう人たちは裕福で、被害はなく、まず外国で安全を確保するという人たちである。 表情にも余裕が感じられる。カナダ大使館にもビザを求めてレバノン市民が殺到している。 人が多すぎて手続きは難航し、とにかくパスポートはあるのだからビザを発給してくれと叫んでいる。
この大使館からさらに東に進んでいくと、ベイルートのダウア地区ズーク地区がひろがっている。 ここにはベイルート市内すべての電力発電所、石油精製所が集中していて、この先イスラエルによってここが爆破された場合、 ベイルートは白旗をあげることになるといわれている。昨晩、ベイルート上空をイスラエルの戦闘機が轟音を響かせて旋回していた。 攻撃対象の確認にきたのか、市民はおびえていた。
ベイルート空港が封鎖されている中で上空を飛行機が飛んでいることが不自然で恐怖の対象なのである。 実際数日前には飛行機の轟音が聞こえてからしばらくして空爆が行われた。ここ最近停電が頻発している。 ベイルートに入ったころより取材に支障をきたすほど回数と停電時間が長い。 みな電気が来ない夜はベランダで夕涼みして即寝床に入る生活となっている。今日は空爆の爆音を聞かなかった。 (7月27日配信)
7月27日の写真
31 日本語で「イスラエルはベイルートへの攻撃をやめなさい。」と書かれた横断幕をもつNGO団体。
32 カナダに向かって出国を待つ人たち。早朝から4時間たっても全員乗船できなかった。
33 カナダ軍の援護のもとに出国をするレバノン母子。カナダパスポートを持っていた。
34 レバノン兵に乗船手続きに導かれる男性。大量の荷物を持っている。
「“カツオ”に見るパレスティナ」2006年7月28日
ベイルート・サブラ地区にあるスーク(青空市場)は人でごった返していた。 連日の空爆が続く中、市民はできるだけ外出を控え、自宅でのんびりしていた。 そんな中、昨晩ベイルート空爆がなかったことで緊張の糸が少々緩んだのか、朝からマーケットや路上には普段以上に人の姿が目立った。
特にスーク一帯には非常食を買い求める人たちが殺到し、持ちきれないほどの食材を購入していた。 このスークでもっとも高価な食材は何かと聞いて回ると、返ってくる答えは決まっていた。 「カツオに決まっているじゃないか」。体長80cmのカツオが荷台にびっしりと並んでいる。一匹9000レバノンポンド(900円)。 今朝水揚げされたばかりだという。どのように調理するのかと問えば、4等分にして塩とハーブをまぶして焼くだけでOKであるという。 二匹買えば200円値引きしてくれるという。購入はしなかったが買い物客が興味津々にカツオを眺めていた。
このスークはパレスティナ人居住区にあり、商人はほとんどがパレスティナからの移住者であった。 彼らはアラファト率いるPLOがレバノンに迎えられたときに共に移住してきた人たちである。 「自分たちが移住した場所は必ずイスラエルがやってくる。故郷パレスティナしかり、ここベイルートしかりである。
どんなに攻撃が激化しようとこの先どこにも移るつもりはない。」このサブラ地区のはずれには巨大な墓地が広がっていた。 病気や老衰で亡くなられた人たちはもちろん、今回の爆撃で命を落とした人たちの墓標も多数並んでいた。 その墓地を取り囲むようにモスクが並び、取材中礼拝に訪れる人たちが後を絶たなかった。
ここ二日間、ベイルートは不気味な静けさを保っている。 南部でのイスラエルとヒズボラの戦いが激しくなってきている中で、市民はベイルートまで侵攻するのかとおびえている。そして今日も一日空爆がなかった。 市民はアッラーの神に感謝することを忘れなかった。あすはどうなるのか。(7月29日配信)
7月28日の写真
36 ベイルートの市場で売られていたカツオ。一匹日本円で900円である。
40 サブラ地区にある広大な墓地には今回の被害者たちの墓地が建てられていた。
「レバノン目指すイラン義勇兵」2006年7月29日
レバノン市民が騒いでいる。戦争が終わったのかと思い伺ってみると、それに近いようなものだという。 理由は二つある。ひとつはイスラエル軍が南レバノンから一時撤退を余儀なくされたこと、 ヒズボラのとの交戦で犠牲者が続出したことで態勢を組みなおすためにイスラエル領に戻っていったという。
もうひとつはイランからのムジャヒディーン(義勇兵)が既にレバノン入りを果たすためにシリアまで来ているという。 南レバノンでのヒズボラへの援軍として250名の兵士が詰め掛けているという。 南部での激戦の報告は逐一報道されているが、ニュース以上に南レバノンのベントジュベイルから逃げてきた人たちの言葉が最も説得力があった。
それにしてもイランが介入してくるとなると、このレバノン紛争はとんでもないことになるかもしれない。 既に600人の犠牲者がレバノン側で出ている現状で地獄といえるが、 イスラエル、アメリカの宿敵イランの支援が顕著になればレバノン総攻撃の理由付けが確たるものとなり、 中東全面戦争に突入が懸念される。
ヒズボラの思想の原点であるイスラム教シーア派、それもかなり原理主義よりの行動をとっているリーダー、 ハッサン・ナスララ氏はメディアを使ってホメイニ師を崇拝していると語っている。 ベイルートのヒズボラ地区にはいたるところにイラン革命の指導者ホメイニ師の肖像画が掲げられていて、 レバノン政府との関係よりも俄然イランとのつながりを強調している。 先日、シリアのアサド大統領とイランのアフマディネジャド氏がレバノン紛争について語っていた。
今回のイラン義勇兵のシリア経由でのレバノン入りというのもこのときに決定されたことと思われる。 南レバノンといってもベイルートからわずか80kmほどである。 イラン義勇兵がベイルートを通過せずそのままベントジュベイルに向かえば数時間で前線に入ることができる。 ここ最近日増しに戦争の緊迫感が薄れてきている気がする。 来週あたりイランがこの中だるみに活を入れてしまうかもしれない。
7月29日の写真
39 ヒズボラ拠点のベイルートダーフィー地区の入り口にはイランのホメイニの肖像画が掲揚されていた。
35 廃墟となったダーヒー地区にはホメイニ師の肖像画が今でも掲げられている。
「怒るレバノン」2006年7月30日
ベイルート国連事務所が暴徒に破壊された。 レバノン南部のカナでイスラエルの攻撃で55名の市民が瓦礫の生き埋めとなり、イスラエルへの徹底報復が叫ばれる。 期待のかかった国連の停戦仲介が暗礁に乗り上げてしまっている今、市民の怒りは国連事務所に向けられた。 午前11時に5000人規模のデモ隊が国連事務所前に集結。 反イスラエル、反米のスローガンを叫びながら状況はヒートアップした。 一人の男性が国連事務所の玄関に石を投げつけたことをかわぎりに、数十人の男性たちが一気に事務所のロビーになだれ込んだ。 ロビーの電光掲示板を破壊したりエレベーターのボタンを破壊しつくした。 それでも気の治まらないデモ隊は警察長官の車列に向かって殺到し、車の窓ガラスを割り、ペットボトルや石を投げつけた。 連日続く空爆による被害者のほとんどが子供や女性ということがデモの暴徒化の引き金となっている。 集会に集まったほとんどの人たちが家族を失ったり自宅を破壊された人たちである。 レバノン政府の弱腰の姿勢に怒り、報復を実践してくれるヒズボラにますます傾倒してきている。 ナスララ師も連日徹底抗戦を呼びかけ、南部ではイスラエル軍との激戦が続く。 イスラエル軍も地上戦でのヒズボラのゲリラ戦に悩まされ、一時撤退、その後一斉空爆に踏み切った。 その結果が55名の一般市民の殺害に至った。ライス国務長官がイスラエル入りしているさなかの出来事ゆえに、国際社会の介入は期待できないものとなった。
7月30日の写真
43 爆破された石油精製所から流れ出した重油は海岸線を真っ黒に汚染し尽くしている。
44 国連事務所前で暴徒化した市民。事務所のガラスを叩き割った。
45 アメリカの国旗を破り、燃やし、踏みつけた。反米気運は高まる。
42 国連事務所前に殺到したレバノン兵士。暴徒の破壊活動を止めることができなかった。
「停戦へのロードマップ」2006年7月31日
カナの大虐殺を受けてのベイルート国連事務所が暴徒に襲われて一日あけた今日、 再び国連事務所前に人数は少ないながらも、デモ隊が再び集まっていた。昨日のような叫び、破壊し、怒りを爆発させる過激な団体ではなく、 レバノン大学の教授陣が控えめながらもインテリジェンスな抗議を行っていた。 ダークスーツ着こなすカウェル教授は
「昨日の市民の暴徒化した行動は理解できる。 カナの虐殺で総数約60人が死亡、そのうち幼い子供が37人も含まれていたことは、世界の誰が見ても許されないことである。 われわれはヒズボラの徹底抗戦の過激な行動にシフトしていくレバノン政府の動きを警戒している。
ライス国務長官との会見を拒否したシニオラ首相の行動はレバノン世論を受けてのパフォーマンスであろう。 実際イスラエルとの紛争を政府間同士で無条件停戦を結ぶことはありえないとは思う。 頼みの綱はやはり国際世論、国連の仲介に期待するしかない。それが停戦へのロードマップであると感じている。」
カナの虐殺、その被害者たちへの追悼の念を表するため、今日一日ベイルート市内は静まり返った。 店はシャッターを閉め、市民は自宅でカナの虐殺のニュースを眺めている。 それでも唯一人でごった返している場所があった。ガソリンスタンドである。 イスラエルの攻撃が激化している中で、ガソリンが不足してきている。
価格が高騰し普段が一リットル1000レバノンポンド(約40円)のところが3000レバノンポンド(120円)まであがっている。 信じられない値段であるが車社会のベイルートではガソリンをストックするために長蛇の列をつくっていた。 夜間停電が続くようになり、生活価格が高騰する中で市民のストレスが再び爆発する日は近いであろう。 (7月31日配信)
7月31日の写真
47 街中でナスララ師のポスターを掲げて泣いている男の子。ナスララ師支持が急激に上がっている。
48 縦15mのライス国務長官の顔写真には、民間人虐殺の首謀者はライスと記されていた。
49 ベイルートにも人間の盾の活動家がやってきている。
50 ガススタンドにはガソリンを求めて市民が殺到。価格は三倍に跳ね上がった。
「カナ」2006年8月1日
南レバノン、カナに入った。 先月7月30日イスラエルによる攻撃で民間人約60名が殺害され、一気に国際世論が一時停戦を訴える契機となった現場である。
ベイルートから南に90km、イスラエル国境からは10km地点に位置する。 イスラエル側の攻撃理由はヒズボラの長距離ロケットの発射基地がこの村に設置されていたための自己防衛のためであるとされている。 実際のところは民間人が空爆から逃れるために避難していたシェルターが爆撃され子供37名を含む被害となった。
カナの町に入ると、人影がまったくなくなり静まり返っていた。 南ベイルートのダーヒー地区の静けさと違った、人の気配も音もなく上空からイスラエルの軍用機の旋回している音だけが聞こえていた。 砲撃の炸裂音があたりから連続して聞こえてくる。 イスラエルとの最前線が目の前にあり、この地域がベイルートとは違った地上戦の戦闘範囲の真ん中に位置しているが確認できる。
丘陵地帯に広がるカナの町は丘の上から一望できる。 ピンポイントでシェルター、トラック駐車場、スーパーマーケット、幹線道路と人の集まる場所はすべて破壊されていた。 ここまでにはレバノン国軍兵士も入ってきておらず、レバノン領でありながら異国に居るような錯覚を覚える。 間もなく48時間の一時空爆停止の期限が切れ、イスラエルの一斉攻撃が始まると思われる。 (8月1日配信)
8月1日の写真
56 カナのスーパーマーケットは屋根が折れるように崩壊していた。
59 カナの大虐殺の現場は人影はなく、辺り一面瓦礫の山となっていた。
「空爆再開」2006年8月2日
48時間のイスラエルによる空爆停止期限が切れた2日早朝、予告通り攻撃再開となった。 まず南レバノンのナバティーエ地区を中心に国境地帯に沿って50発以上の攻撃があり、地上部隊の突入の土壌は作られた。
さらにレバノン東北部にある世界遺産で有名なバールバックでは映画さながらにイスラエル軍用ヘリから特殊部隊が降下して、 病院内でレバノン人3人を拉致して、11人の民間人を殺害した。
イスラエルによる総攻撃に対してヒズボラの対イスラエル攻撃にも拍車がかかった。 南部から長距離ロケット弾を300発打ち込み、ハイファをはじめテルアビブに近い距離まで着弾する兵器を使い出した。 イスラエル側はこれ以上の長距離ロケットの使用を続けるならばベイルートの総攻撃を開始すると脅しをかけた。
総攻撃がベイルートに迫るのか、市民は戦々恐々の日々を過ごしている。 ベイルートの中でもハムラー地区というエリアにはシニオラ首相の官邸やハリリ前首相の息子の住む住居が点在している。 そして外国人の宿泊するホテル、避難民が集まっているマウワード公園、学校の寮などまさにレバノンのへそと言える地域である。 8月2日、第二次レバノン紛争が始まった。 (8月2日配信)
8月2日の写真
52 南部カナからベイルートを目指し避難する市民たち。
64 イスラエル総攻撃に備えてレバノン軍の補強がされた。
「エンディング」2006年8月3日
イスラエルの総攻撃が続いている。 南部のベントジュベイル、東部のバールベク、首都ベイルート、北部アッカール、攻撃はレバノン全土に及んでいる。 今日までの攻撃での死者が約900人、死傷者3000人、避難民100万人という膨大な被害が発生している。 それでもイスラエルの攻撃は激化する一方だ。
本日午前2時45分、とてつもない爆音で飛び起きた。 3発の連続砲撃がベイルートを直撃した。宿泊先の部屋がゆれ、ガラスがきしむ。 一週間ぶりのベイルート攻撃が再会し、いよいよベイルートへの総攻撃が始まるのかと市民は怯え始めている。 早朝からべイルートの爆破ポイントに入った。
まだ火がくすぶっている状態で煙が上がっている。 見事なまでにあたり一面吹き飛んでおり、一部残ったビルの室内は溶鉱炉のごとく鉄が溶けて灰がつもっている。 どこから持ってきたのか、イスラル兵士がコーランを蹴り飛ばしている漫画のポスターが爆破中心部に掲げられていた。 ヒズボラ党員の監視も激しさをましていて、この現場の撮影許可を得るのにかなりてこずった。
この先、国連の武装強行介入が行われないかぎり、確実に総攻撃は続いていく。 イスラエル側の攻撃宣言、対しレバノン側もヒズボラの指揮の下、徹底抗戦の構えにブレはない。 レバノン紛争の山場を迎えた今、エンディングの1週間が始まろうとしている。 (8月4日配信)
8月3日の写真
66 ベイルート攻撃の爆破現場。あたり一面瓦礫と燻ったにおいで充満していた。
67 イスラエル兵がコーランを蹴り飛ばし、アメリカが後ろで糸を引いている。風刺ポスターが掲げられていた。
68 攻撃受けたビルの中は溶鉱炉のごとく鉄が溶けていた。
「混迷」2006年8月4日
イスラエルの総攻撃が激しさを増している。 4日、早朝キリスト教徒地区の北部ベイルートの幹線道路の橋が連続して爆破された。同時にベイルート南部の港湾施設も撃破された。 レバノン南部ではヒズボラとの激戦が24時間態勢で続いている。 今日の攻撃でベイルートにつながる北、東、南すべての幹線道路が遮断された。
西は地中海ゆえに完全に陸の孤島となった。 イスラエル側の攻撃声明では「シリアからの武器の輸送、兵力人員の断絶が目的である。」と発表された。 昨日ナスララ師は「イスラエルがベイルート総攻撃を行うのであれば、我々経済首都テルアビヴを攻撃する。」と警鐘を鳴らしていた。
その最中、声明を無視して翌朝からベイルート攻撃が始まり市民は愕然としている。 ヒズボラのテルアビヴ攻撃はもう避けられない。アメリカの行動も目立ち始めた。 アメリカ海兵隊がベイルートの海岸線に上陸し在ベイルートの米国人を避難させる作戦を展開、ベイルート紛争の泥沼化を確定する行動として受け止められた。
明日には、反イスラエル巨大デモがダウンタウンで開かれると告知されている。 再び国連事務所破壊活動にみられた暴徒化するデモとなることは間違いない。 それでも市民の口からは「もう少しで戦争は終わる。」と他人事のように大多数の人が感想を述べていた。この先いったいどうなるのか? (8月5日配信)
8月4日の写真
72 プラカードには「ヒトラーとブッシュ大統領の虐殺は同じである。」と記されていた。
73 高速道路の橋が爆破され、消防隊が駆けつけ消火活動を行った。
74 唯一の北への逃避ルートの橋が爆破され、ベイルートは陸の孤島となった。
76 橋が爆破され、民間人が犠牲になった。現場から逃げる市民。
「一致団結」2006年8月5日
再び国連事務所前でデモが開かれた。カナでの民間人60名虐殺を受けての暴徒化したデモ隊が再び集結した。 午前11時、200人以上のレバノン武装兵士がバリケードを張る前にレバノン国旗を振り回すデモ隊が到着した。 人数はかつての5000人には及ばないもののダウンダウンイスラエルを叫びながら、一触即発の緊張感が走る。 先日のデモ隊と大きく違った点は外国の旗を振りまわす参加者が増えていたことだ。
特にアメリカから悪の枢軸に数えられているイラン、アフマディネジャド氏支持者、さらには南米ベネズエラのチャべス氏支持者、 キューバからは革命戦士チェ・ゲバラの格好を真似た参加者もいる。 国際社会の介入が暗礁に乗り上げている中で、反アメリカを掲げる国々が一致団結していた。 連日のレバノン全土に及ぶ攻撃でデモの開催回数も増えてきている。 メディアを使ってデモへの参加を促していて一日中家に閉じこもりテレビを見ている市民はこぞって参加していた。
昨日の空爆で三つの橋が吹き飛ばされたベイルート北部の最北端の現場に入った。 長さ300m、幅50mの橋が跡形もなく吹き飛んでいた。 この先の空爆でベイルート市内は廃墟になってしまうのか。生活インフラの電気、ガスが既に不安定になっている。 ガソリンが尽きて、自家発電もままならない状況だ。現実としてイスラエルとレバノン二国間での停戦はありえない。 国連介入を待つしかないのが今日のデモ隊を見ていて感じたことである。(8月6日配信)
8月5日の写真
80 ベイルート北部にある巨大な橋が跡形もなく吹き飛んでいた。
81 デモ隊が再び国連事務所前に殺到し、イスラエルとアメリカ国旗に火をつけていた。
82 自宅が崩壊した女性は、「停戦よりも報復を」を訴えていた。
84 デモ隊をさえぎるレバノン兵士たちもデモ隊の怒りを理解できると語っていた。
「帰宅」2006年8月6日
攻撃停止の国連決議案が採択された。 これでレバノン紛争に終わりが見えてくるかというとそうではない。 ベイルートの速報が入ってきた時、食い入るようにテレビを見つめていた市民からはため息が漏れた。 決議案の内容がとても停戦を迎えられるものではないという。 その内容は
@イスラエルへのヒズボラの攻撃とみなされるものがあった場合、即時自衛のためのイスラエル側からの攻撃を認める。
Aレバノン紛争の「戦闘の一時停止」であって「即時停戦」ではない。
これでは何のための決議案なのか、納得できないと怒りをあらわにしていた。 ベイルート中心部、マウワード公園で2週間の避難生活をしていたアリさん一家は爆撃が続く中、南レバノンの自宅に戻った。 7人の子供たちにシャワーを浴びさせ、食料の補給、さらにたまりにたまった衣類を洗濯するという。 上空にはイスラエルの軍用機が旋回していたが、トラックの荷台に乗り込み実家に戻った。 家に到着してみると、家は破壊されていなかったが、すぐ脇を高速道路が走っていて、いつ爆撃の巻き添えを食らうか不安で仕方がないという。 早速子供たちの服を脱がせシャワーを浴びさせた。母親が食事を用意し、子供たちは一心不乱に家庭の味を満喫した。 用件が済むとまたマウワード公園に戻っていった。これが今の避難民の生活の流れである。
8月6日の写真
71 攻撃を逃れるために避難所に逃げる女性たち。
37 街中には非常食のジャガイモが大量に売られている。
78 爆風で商店が吹き飛び、ガラスの破片を集める店主。
85 アリさん一家は久しぶりの家庭の味を満喫した。