沈黙の兵器



2夜連続!「沈黙の兵器」沖縄・負の遺産

(2006年8月14・15日放送 フジテレビ「ニュースJAPAN」
ASIANEWSが毎年お送りする終戦企画シリーズ。今年は終戦から61年を経て未だ解決しない沖縄の負の遺産を取り上げる。それは沈黙する兵器。さらに「それ」は生きている。 余りにも生活に溶け込み、住民と“危険な共存”をする沈黙の兵器とは?

取材:森史雄 撮影:石井暁 プロデューサー:板倉弘明

第1夜8月14日(月)「沈黙の兵器」
沖縄には戦後61年の現在でも、戦時中の不発弾およそ2500トンが地中に埋まっていると見られる。 陸上自衛隊により年間およそ30トンが処理され、そのたびに付近住民は避難を強いられる。 しかし、今も爆発しかねない危険な不発弾があまりに身近なためか、住民にとって危機意識は必ずしも十分でない。 本土復帰後32年経つ現在でも、不発弾を巡る事件やトラブルは後を絶たない。 1夜目は、いまだ住民の生活の中に不気味な影を落とす、戦争の「負の遺産」についてリポートする。

第2夜8月15日(火)「密着!不発弾処理隊」
現在も沖縄に眠る不発弾を処理するために、陸上自衛隊第1混成団(那覇市)に組織される国内最大規模の第101不発弾処理隊。 隊員24人の出動回数は、年間およそ300回にも上る。爆発の危険がある不発弾を扱うその任務は、常に危険と隣り合わせだ。 戦時中にアメリカ軍の軍艦から撃ち込まれた艦砲弾の起爆装置を特殊な方法で除去する「安全化処理」の一部始終を、 初めてテレビカメラが捕らえた。住民の安全を脅かす不発弾の恐怖は、全て処理されるまで今後100年続くとも言われる。




沈黙の兵器
5年前に住宅の塀を設置した工事の際、地中から戦時中の不発弾が見つかり、もしやと思った地主が県に要請し隣の畑を磁気探査したところ、一反ほどの広さから同じ種類の不発弾がさらに2発出てきた−。 今回私たちが密着取材した陸上自衛隊第1混成団(那覇市)の第101不発弾処理隊が、那覇市に隣接する南風原町の住宅地で信管部分を打ち砕き爆発しないよう安全化処理した砲弾は、こうして発見されたものだった。

【不発弾処理】
自衛隊では、不発弾処理要員として一定以上の資格を持つ隊員に対して不発弾処理き章が授与される。国内にある不発弾処理部隊は4箇所。その中で沖縄に駐屯する第101不発弾処理隊は国内最大規模。 wikipedia「不発弾」

「大きなイモ?」
見つかったのは、全長約40センチ、重さ約35キロの米国製艦砲弾。最初に掘り出したときこの家の住人は、「大きなイモかと思った」という。 艦砲弾は軍の上陸を前提に洋上の軍艦から撃ち込むもので、国内唯一の地上戦を経験した沖縄独特の爆弾。 タイマー式の起爆装置が付いており、不発のまま残ったのは、何らかの理由で起爆装置が作動しなかったためと思われる。しかし、振動などちょっとしたはずみで再び作動し、爆発する危険がある。

地域や年代に関わらず、戦争で使用される爆弾、砲弾のうちおよそ5%が、正常に爆発せず「不発弾」として残るとされる。 面積で国土の1%に満たない沖縄に撃ち込まれた爆弾は、日本全体の37万トンの半分以上の20万トンに上る。 その5%、1万トンが不発弾だ。わずかの広さから3発もの不発弾が見つかったことから、この小さな島での爆撃が、いかに凄まじかったかが想像できる。

「薄れる危機感」
国内4ヵ所の不発弾処理部隊のうち最大規模の第101不発弾処理隊は、志願隊員24人で構成、年間300回の出動をこなす。 6月17日に南風原町で実施したこの2発の不発弾の安全化処理は畑に深さ約2メートルの処理壕を掘って行ったが、それでも半径230メートルの住民が避難を余儀なくされた。 処理に失敗して誤爆したら、それほど大きな被害が予想されるということだ。

処理作業は命がけで、ある若い隊員は、「万が一のことを考えて、出動前に必ず2人の子どもぎゅっと抱きしめる」という。 幸いこれまで、自衛隊による処理作業で失敗はない。しかし、あまりに多く不発弾が見つかるためか、皮肉にも住民の不発弾に対する危険意識は高くない。 処理のため避難を要請してもカーテンを閉め切って部屋に閉じこもったり、避難半径内に入り込もうとする住民もいるという。 私たちの取材中に、畑で見つけた不発弾を犯罪の凶器として利用する脅迫事件も起きた。

戦争の「負の遺跡」が日常化している住民と、その危険性を十分に知っている処理隊員の間で、不発弾に対して温度差があることは否めない。

「今後100年」
行政の発注による磁気探査などで見つかり自衛隊によって処理される不発弾は、年間約30トン。 しかし、沖縄には今もなお2500トンの不発弾が埋まっているとされる。今後、全ての不発弾を発見し処理するまでに、100年かかるとも言われている。

戦後61年経ち人々の記憶から「戦争」が遠ざかっていく中で、不発弾は、将来にわたって住民の生活を脅かし続ける。 地理的事情などから歴史に翻弄されてきた沖縄の「戦後」は、まだ終わらない。
(ASIANEWS 森史雄)

写真@南風原町の畑で見つかった2発のアメリカ製5インチ艦砲弾
写真A南風原町の畑で見つかった2発のアメリカ製5インチ艦砲弾。民家からわずか50メートルしか離れていない
写真B安全化処理された不発弾。火薬で弾丸状のものを飛ばし、信管部分を正確に打ち砕いた
写真C安全化処理のために掘った処理壕。万が一の誤爆の際の被害を抑えるが、それでも半径230メートルの住民は避難を強いられる
写真D読谷村にある不発弾保管庫。沖縄本島で発見された不発弾はここに集められ、米軍施設内で順次爆破処理される

関連リンク
陸上自衛隊第1混成団第101不発弾処理隊