2月18日〜
渡部陽一イラク日記2月18〜28日
2月18日
イラク取材前日、明日からの取材に備え準備に明け暮れる。イラク側との電話のやり取りに時間をとられる。今日も眠れない。気が高まってきている。かえってこれないかもしれないと思い、万が一のための用意もしておく。機材はヨルダンに置きっぱなしにしているのでかばん5つだけで出発する。イラクのガイドからはいいから早くイラクに入ってこいとせかされる。頻繁にレジスタンス自爆活動が起きているから早急にでもはいり取材すべきであると叫ぶ。その通りだ。そう考えるとまた興奮してしまい結局一睡もできなかった。
2月19日
イラク取材に向かう。成田発モスクワ経由ヨルダンアンマン行きアエロフロート航空をまた使う。今回こそはモスクワ経由を避けてヨーロッパかアジア経由のビンに乗りたかった。もう何十回とこの航空会社に乗っているがアンマンに到着するといつもくたくたになる。モスクワで20時間以上のトランジット、荷物がミッシングする、航空スタッフは鉄のように冷たい表情、びくつきながら飛行機に乗っている。荷物と自分自身が予定時刻にアンマンに到着すればそれで満足だ。それ以上は求めない
2月20日
アンマンに到着。ダウンタウンにあるクリフホテルにチェックイン。一泊4ドル。荷物をこの宿に預けていたのですべて回収した。8時間だけのアンマン滞在、夜2時にタクシーチャーターでバグダッドに出発。タクシー代は100ドル。戦争中に比べれば俄然安くなったほうだ。約12時間でバグダッドに入る。国境は荷物検査もなくパスできた。イラク側ボーダーの入国スタンプがしゃれたものに変わっていた。やしの木が書いてある入国スタンプである。おまけに大きい。人気のない国境であるがスタンプだけは気合が入っていた。
2月21日
バグダッド到着、午後3時にパレスティナホテル裏にあるアルファナールホテルにチェックイン、一泊30ドル、朝食つき、インターネットサービスあり。イラク取材で一番の問題となる通信をいかににカバーしていくか、今回はインマルサット衛星電話、写真送信用B-GYANデータ通信機器、スラヤー衛星携帯電話の3オプションで挑む。どれも通信価格が高いゆえ自由に使うわけにもいかない。取材現場から写真を送り原稿確認をする。日本の取材班と同じ状況だ。この通信を持つか持たないかで大きく結果が左右される。
2月22日
バグダッドからティクリート取材に入る。日本人大使館員が殺害された場所に入る。様々な疑惑が飛び交っているこの事件の真相を再度確認するためだ。ガイドと通訳と共に朝一で現場に入った。国道一号線上にある小さな雑貨屋さんの脇に大使館員の車が突っ込んできた。今でもそのときのわだちが現場に残っている。現場目撃者に話を聞いた。すべての情報が錯綜しすぎている。目撃者の言葉が一番だ。
2月23日
バグダッドからサマワ入り。自衛隊の本隊がすでにキャンプ地の設営をしていた。取材するものに記者証を発給していた。自衛隊の記者会見では準備は順調であるといっていた。サマワ市民に聞いた。自衛隊がきて何か変わりましたか、答えは何も変わっていないという。市民はまだ自衛隊が準備段階であることを承知していた。だからまだ何も変化がないのだとクールに語ってくれた。これからの市民の反応を追いかけていきたい。
2月24日
サマワ西部で惨殺されたイラク人男性に遭遇した。治安の安定しているサマワといえどやはりイラクであると再確認できた。死臭がひどくカメラを向けているときでも顔をしかめざる得ない。背中、首、後頭部をナタのようなものでざっくりと縦に長く切られていた。やはりこの地も戦時下にあるのだと痛感した。イラク人ガイドは現場から早く撤退しようと私をせかし続けていた。
2月25日
サマワの自衛隊本体がオランダ軍ベースキャンプ地から完全に自分たちのキャンプ予定地に完全に移った。新キャンプ内はとっても生活環境が整っていないようであるが本日からこの地で寝泊りするといっていた。毎晩ガイドたちが熱心にコンピューターにむかっている。世界中の女性たちとチャットでわいせつな会を楽しんでいるのだと鼻息荒く語ってくれた。あたらしきイラクはこんなところにも見えかくれしていた。
2月26日 サマワからタクシーを乗り継いでアンマンに向かう。バグダッドで一度タクシーを乗り換えた。走行距離が一日で1400kmに及んだ。取材を時間ぎりぎりまでこなした。ガイドたちは今日から自由時間を取れてうれしいという。一日の稼ぎが50ドル、一週間こなせば優に一般市民の年収を超えてしまう。渡部が帰国したら家でとにかく睡眠をとるという。取材中は朝5時半おきで6時に朝食、6時15分には取材をスタートさせていた。みな文句を言わずに時間を守ってくれた。感謝である。再び同じチームで挑みたい。
2月27日 モスクワのシェレメチィボ国際航空で日記を書いている。空港のコンセントを使わせてもらった。感謝である。外は吹雪である。国が違うだけでここまで気候が違うものかと驚かされる。空港内にあるアイリッシュパブで久しぶりのビールを楽しんだ。ギネスドラフト1パイントで5・5ドル。イラク取材の後のビールというのは格別だ。イラクではまったくお酒を飲みたいとも思わなかったのだが、一度出国してしまうと体が日本モードに切り替わってしまう。それにしてもこの空港は相変わらずの暗さである。不気味な空港だ。DUTY-FREEショップだけがきついネオンを放っている。空港内のバーで酔っ払った旅行者たちが館内をさまよっている。日本の酔っ払いと同じだ。行きかう人にちょっかいを出したりしている。見ているだけでウオッカだけは飲むことをやめようと思った。
2月28日
アエロフロートロシア国際航空の乗客はフライトした早々持参したウオッカのリッターボトルをあけ、がぶ飲みしている。一気飲みもしている。座席のあたりがものすごく酒臭い。これが大酒のみの世界レベルなのかと恐怖を感じた。イスラムではお酒は厳禁である。お酒がないことで取材がスムーズに進む。お酒がないことで夜物思いにふけってしまい眠れないこともたくさんあった。どっちがいいともいえないがウオッカリッターボトルがぶ飲みは飛びすぎてしまうと感じた。一度チャレンジしてみよう。席が狭くて苦しかった。ひさしぶりのエコノミーシートの苦痛を感じた。